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横浜市(よこはまし)は、関東地方南部、神奈川県の東部に位置する都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市に指定されている。日本の市町村で人口が最も多く、神奈川県内の市町村で面積が最も広い。首都圏内では東京特別区に次ぐ第二の都市である。 目次 [非表示] 1 概要 2 地理 2.1 地形 2.2 気候 2.3 隣接する自治体 3 歴史 3.1 行政区域の変遷 4 人口 5 市政 5.1 議会 6 国政・県政 6.1 国の機関 6.2 県の機関 6.3 国会議員 6.4 県議会議員 7 地域 7.1 行政区 8 観光 8.1 施設 8.2 祭り 8.3 娯楽 9 経済 9.1 産業 9.2 本社を置く主な企業 10 交通 10.1 空港 10.2 鉄道路線 10.3 路線バス 10.4 道路 10.5 船舶 10.5.1 横浜港 11 文化施設 12 教育 12.1 大学・短期大学 13 姉妹・提携都市 13.1 国内 13.2 国外 14 横浜市に関する音楽・映画その他の作品 15 出身有名人 16 脚注 17 参考文献 18 関連項目 19 外部リンク [編集] 概要 みなとみらい21地区横浜市は、東京都心から南へ約30km、東京湾に面した都市である。市政の中心地は関内地区(中区の関内駅周辺)で、市域の中央駅は横浜駅(西区)[2]。経済活動の中心は関内地区から約3km北の横浜駅周辺地区へ移っており、両地区の中間に位置する横浜みなとみらい21地区(桜木町駅周辺)の開発を進めて、中心部の一体的な発展を図っている。 市域は、鎌倉に幕府が置かれた鎌倉時代から本格的に開発され始め、江戸時代には幕府が置かれた江戸に近いため、幕府直轄地や旗本領が大部分を占めた。横浜市内唯一の藩として六浦藩がおかれた。また、鎌倉幕府の海の玄関口として六浦湊(金沢区)が、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝として神奈川湊(神奈川宿、神奈川区)が、早くから栄えた。江戸時代末期には、神奈川湊沖で締結された日米修好通商条約により、「神奈川」を開港場にすることが定められた。実際には神奈川湊の対岸にある横浜村[3](現在の中区関内地区)に新たに港湾施設が建設され、短期間に国際港の体裁を整えた。1859年7月1日(旧暦:安政6年6月2日)に開かれた横浜港は、「金港」とも呼ばれ、生糸貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として、横浜を日本の代表的な国際港都の一つへと発展させる礎となった。 1889年(明治22年)4月1日に市制が施行され、横浜市となった[4]。市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4km2 にすぎなかったが、6次にわたる拡張と埋立てにより437.38km2(平成18年)となっている。1927年(昭和2年)の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、行政区の数は18区となっている。市制施行時の横浜市の人口は約12万人だったが、その後は第二次世界大戦中の一時期を除いて増加の一途をたどり、現在では約360万人となった。これは日本の市では最も多く、人口集中地区人口も東京特別区に次ぐ。1956年(昭和31年)には政令指定都市に[5]、1988年(昭和63年)には業務核都市に指定された[6]。 [編集] 地理 横浜市のランドサット画像[7] 市域は神奈川県の東部にあたり、東経139度43分31秒(鶴見区扇島)から139度27分52秒(瀬谷区目黒町)、北緯35度35分33秒(青葉区美しが丘)から35度18分44秒(金沢区六浦南)に位置する。[8]東は東京湾に面し、北は川崎市、西は大和市・藤沢市・東京都町田市、南は鎌倉市・逗子市・横須賀市に接する。市域の面積は神奈川県の約18%を占め、県内の市町村で最も広い。[9] [編集] 地形 市域の地形は、丘陵地、台地・段丘、低地、埋立地に分けられる。 丘陵地は、市域中央部よりやや西よりに分布し、市域を南北に縦断する。この丘陵地は保土ヶ谷区・旭区などを流れる帷子川付近を境に、北側と南側で性質を異にする。北側の丘陵地は、多摩丘陵の南端に位置し、標高は60mから100mで北に向かって高くなっている。南側の丘陵地は、三浦半島に続く三浦丘陵の北端部を占め、標高は80mから160mで南に向かって高くなっている。南側の丘陵地の方が起伏も激しく、標高も高い。通称「鎌倉アルプス」に続く市内最高点(栄区上郷町、標高159.4m、鎌倉市に山頂のある大平山の峠部分)や大丸山(金沢区釜利谷町、標高156.8m)、円海山(磯子区峰町、標高153.3m)もこの南側の丘陵地にある。 台地・段丘は、丘陵地の東西にある。東側の台地は鶴見区の地名を取って下末吉台地と呼ばれ、標高は40mから60mで鶴見川付近まで続く。西側の台地は、相模原台地の東端にあたり、標高は30mから70mで南に向かって低くなっている。本牧付近で台地が海に突き出し、その南側は根岸湾と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。 低地には、丘陵地や台地を刻む河川の谷底低地と沿岸部の海岸低地とがある。谷底低地は鶴見川に沿って広がり、平坦な三角州性低地を形成する。また、海岸部には埋立地が造成され、海岸線はほとんどが人工化されている。金沢区の小さな入り江「平潟湾」は、鎌倉幕府が海の玄関口とした天然の良港であった。島としては金沢区の野島(八景島は人工島)があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。 河川:鶴見川、帷子川、鳥山川、入江川、早渕川、柏尾川、境川 (境川水系・東京都・神奈川県)、宇田川、砂田川、中堀川、和泉川、大岡川、掘割川、いたち川、侍従川、富岡川、大川 山:南部の港南区・磯子区・栄区・金沢区境付近が最も高く、大丸山(標高156m)、円海山(標高153m)などがある。 [編集] 気候 横浜の平年気温(月ごとの値) 横浜の平年降水量(月ごとの値)本州のほぼ中央、太平洋岸に位置し、気候区分では温帯の温暖湿潤気候に属する。気温の年較差は大きく、四季は明瞭。1日の寒暖の差は小さく、1年を通じて穏やかな気候である。横浜では、梅雨時と秋雨・台風の時期に降水量が多い。冬は晴れる日が多く、積雪はほとんどない。 横浜の年平均降水量は1622.5mmで、月平均降水量の最高は9月の232.4mm、最低は12月の43.2mm。年平均気温は15.5℃で、月平均気温の最高は8月の26.4℃、最低は1月の5.6℃。年平均相対湿度は68%で、月平均相対湿度の最高は7月の80%、最低は1月の54%。年平均風速は3.4m/sで、最大は3月の3.8m/s、最小は7月の3.2m/s。風向は、7月が南西、8月が南南西であるほかは、年を通じて北が最も多い。年平均の合計日照時間は1920.6時間で、最多は8月の203.4時間、最少は9月の125.3時間。大気現象の年平均日数は、雪が9.8日、霧が12.1日、雷が11.2日となっている[10]。 横浜地方気象台の観測史上、最高気温は1962年(昭和37年)8月4日の37.0℃、最低気温は1927年(昭和2年)1月24日の-8.2℃。同じく、日降水量が最も多かったのは1958年(昭和33年)9月26日の287.2mm、年降水量が最も多かったのは1941年(昭和16年)の2535.2mm。 横浜の初雪の平年値は1月4日で、初霜は12月6日、初氷は12月12日。桜(ソメイヨシノ)の開花日の平年値は3月28日で、満開日は4月5日となっている。[11] [編集] 隣接する自治体 神奈川県 - 川崎市、横須賀市、鎌倉市、藤沢市、逗子市、大和市 東京都 - 町田市 [編集] 歴史 詳細は横浜市の歴史を参照 日本海軍水路寮作成海図「武藏國横濱灣」の一部、1874年(明治7年)刊行市域には、およそ25ヶ所の後期旧石器時代の遺跡が発見されている。縄文時代の遺跡は、都筑区の花見山遺跡など数多く見られる。中期までの弥生時代遺跡は少なく、中期後半以降は、都筑区の大塚・歳勝土遺跡など、方形周溝墓を伴う環濠集落が現れる。古墳の出現は4世紀の中期以降とされ、青葉区の稲荷前古墳群などはこの時代の遺跡である。 市域の地名に関する文献上の初出は、『日本書紀』の安閑天皇元年(534年)の条とされる。武蔵国に住む豪族が、橘花(たちばな。橘樹郡)、倉樔(くらす。後に久良(くら)郡、さらに久良岐(くらき)郡)ほか4ヶ所を屯倉として献上したと記される。7世紀後半までに市域には、武蔵国橘樹郡、久良岐郡、都筑郡、相模国鎌倉郡が置かれた。都筑区の長者原遺跡(ちょうじゃっぱらいせき)は、8世紀に成立した都筑郡衙跡とされる。なお、都筑郡の名が見える最古の記録は、『万葉集』である。927年(延長5年)には、都筑郡の杉山神社が、式内社とされた。この杉山神社には論社がいくつかあり、位置は確定されていない。 称名寺庭園市域は奈良時代以降、人口も増えて生産力を高めた。平安時代には各所の開発も進み、板東八平氏や武蔵七党など、関東武士の力が蓄えられた。市域には、平子氏、榛谷(はんがや、はりがや)氏、稲毛氏、綴党(つづきとう)などの武士団が勢力を張った。今に残る弘明寺、宝生寺など、平安時代以前の建立とされる寺院は、これら有力武士団の支援を受けていたものと考えられる。 市域は、鎌倉に鎌倉幕府が開設された12世紀から本格的に開発が始まった。六浦湊(金沢区)が鎌倉幕府の玄関口として文化・交易・産業の中心地となり、中国との貿易や江戸内湾の交易によって栄え、武士や商人・職人・宗教者などが多く集まりにぎわいをみせ、漁業と海運業の発達へと繋がっていった。また、鶴見川や柏尾川などの河川流域では農業が発達していった。 横浜の名の初出は、室町時代中期の1442年(嘉吉2年)の文献である。この年、平子氏の家臣と思われる市川季氏と比留間範数の両名が、石河宝金剛院(現、南区の宝生寺)に、横浜村の薬師堂免田畠を寄進する旨の文書が残されている。横浜村は武蔵国久良岐郡に属し、神奈川湊の対岸、現在では市政の中心街になっている関内地区(中区)にあたる地域にあった。 江戸幕府が置かれた17世紀以降は、東海道の宿場とされた神奈川宿、程ヶ谷宿(保土ヶ谷宿)、戸塚宿を中心に発展する。特に、神奈川湊を持つ神奈川宿が江戸湾(東京湾)内海交通の要衝の一つとして栄え、対する六浦湊は、歌川広重が金沢八景を浮世絵としたように、風光明媚な景勝地としての色合いを濃くしていった。なお、江戸時代末期までの横浜村は、前出二つの湊とは対照的に、戸数わずか100戸足らずの砂州上に形成された半農半漁の寒村であった。 ペリー一行の上陸横浜村の運命を一変させたのは、ペリー率いる黒船の来航であった。黒船一行は六浦藩小柴村沖(現在の金沢区八景島周辺)に2ヶ月間投錨し、幕府の対応を待った後に横浜沖へと進み入り、幕府は横浜村に設営した応接所で外交交渉を行った。1854年(安政元年)に横浜村で日米和親条約が締結され、1858年(安政5年)には神奈川湊沖で日米修好通商条約が締結された。この通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことが、横浜の都市開発の発端となった。幕府は、東海道に直結し当時既に栄えていた神奈川湊を避け、外国人居留地を遠ざけるため、対岸の横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とした。横浜村には、短期間で居留地、波止場、運上所(税関)など国際港の体裁が整えられ、安政6年6月2日(新暦1859年7月1日)に横浜港は開港した。横浜市では、6月2日を開港記念日としている[12]。こうして、横浜は日本の玄関口の一つとなったことから、様々な文物をいち早く取り入れる国際色豊かな都市として発展し始めた。 神奈川県立歴史博物館(旧・横浜正金銀行本店)横浜村は幕府が設置した運上所(税関)を境に、以南を外国人居留地、以北を日本人居住区とした。境界には関所が置かれ、関所から外国人居留地側を関内、日本人居住区側を関外と呼んだ。外国人居留地には、外国商館がたち並んだ。今に残る横浜中華街は、外国人居留地の中に形成された中国人商館を起源とする。日本人居住区は横浜町と名付けられ、その後数度の変遷を経て、1889年(明治22年)4月1日に市制が施行されると同時に横浜市となった。当時の市域面積は、横浜港周辺の5.4km2。面積は狭いものの、市制施行当時、すでに戸数27,209戸、人口121,985人(1889年末時点)に達した。外国人居留地は、1899年(明治32年)の条約改正により廃止されたものの、関内地区は市政と商業の中心地として発展した。 日本郵船歴史博物館開港当初の横浜港では、生糸、茶、海産物を輸出し、絹織物、毛織物が輸入された。当時、生糸貿易の主導権は外国商館にあった。そのため、横浜商人と呼ばれた日本人貿易商は、1873年(明治6年)には生糸改会社を設立して競争力を高め、1881年(明治14年)には生糸荷預所を設立して生糸貿易の主導権確立に努めた。また、横浜商人たちは、県営水道の設置(1887年(明治20年))、横浜共同電灯会社の設立(1890年(明治23年))、十全病院の設立(1891年(明治24年))、生糸検査所、商業会議所の設立(1895年(明治28年))など、都市基盤の整備と商業の発達に大きく寄与した。 横浜アイランドタワー大正時代に入ると、鶴見川河口の埋立が始まって京浜工業地帯が形成され始め、横浜港は工業港としての性格を持ち始めた。1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災(関東地震)では、横浜港、関内を始め、市内全域で大きな被害を受けた[13]。震災復興事業により、日本大通りの拡幅、山下公園の造成、神奈川県庁舎や横浜税関の建設などが行われ、1929年(昭和4年)にはほぼ旧状に復した。 日本丸昭和時代に入り、1926年(昭和2年)4月に第3次市域拡張が行われ、同年10月には区制が施行されて、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区が置かれた。以降も第6次まで続く市域拡張(1939年(昭和14年))と東京湾岸の埋立により市域は拡大し、市域面積は437.38km2(2006年(平成18年))、行政区の数は18区となっている。1930年(昭和5年)前後には、現在山下公園に係留されている氷川丸など、豪華客船の就航が相次ぎ、横浜港は太平洋航路の乗船地として、客船黄金時代の一翼を担った。また、この頃の横浜港は、生糸貿易港から工業港へと変貌し、輸出、輸入とも、機械類・金属製品、鉄鋼の割合が高まった。この傾向は、戦時中の軍需生産期、戦後の高度経済成長期を経て、より強まっていった。 1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲では、磯子区から鶴見区に至る沿岸部が焼き尽くされ、中区、西区の中心市街地は壊滅した[14]。同年8月の終戦により占領軍が進駐し、横浜の中心市街地と横浜港は接収され、都市機能は麻痺した[15]。占領軍は、横浜税関ビルに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ、後に東京の第一生命ビルに移転)と太平洋陸軍総司令部(AFPAC)を置き、軍事拠点とした。空襲とそれに引き続く接収により、横浜の復興は大幅に遅れた。 氷川丸1951年(昭和26年)、対日講和条約が締結され、接収解除に向けた取り組みが始められた。また、この年には、横浜港の管理が国から市に移管された。条約が発効した翌1952年(昭和27年)以降、大桟橋や山下公園などが次々と接収解除された。しかし、なお市域には475万m2余のアメリカ軍施設が残る(2006年(平成18年)1月1日現在)[16]。 [編集] 行政区域の変遷 1889年(明治22年)4月1日 市制施行。 1901年(明治34年)4月1日 第1次市域拡張。 1911年(明治44年)4月1日 第2次市域拡張。 1927年(昭和2年)4月1日 第3次市域拡張。 同年10月1日 区制施行。鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区を置く。 1936年(昭和11年)10月1日 第4次市域拡張。 1937年(昭和12年)4月1日 第5次市域拡張。 1939年(昭和14年)4月1日 第6次市域拡張(市域がほぼ固まる)。神奈川区から港北区を分区新設。戸塚区を新設。 1943年(昭和18年)12月1日 中区から南区を分区新設。 1944年(昭和19年)4月1日 中区から西区を分区新設。 1948年(昭和23年)5月15日 磯子区から金沢区を分区新設。 1956年(昭和31年)9月1日 政令指定都市に指定。 1969年(昭和44年)10月1日 南区から港南区を分区新設。戸塚区から瀬谷区を分区新設。保土ヶ谷区から旭区を分区新設。港北区から緑区を分区新設。 1986年(昭和61年)11月3日 戸塚区から栄区と泉区を分区新設。 1994年(平成6年)11月6日 港北区と緑区を再編し、港北区、緑区、青葉区、都筑区を分区新設。 [編集] 人口 横浜市と全国の年齢別人口分布図(比較) 横浜市の年齢・男女別人口分布図 ■紫色は横浜市 ■緑色は日本全国 ■青色は男性 ■赤色は女性 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) 平均年齢 42.25歳(2007年(平成19年)1月1日現在[17]) 横浜市の人口は、1942年(昭和17年)に100万人を超え、戦時中は減少したものの、1951年(昭和26年)に再び100万人を超え、1968年(昭和43年)に200万人、1986年(昭和61年)に300万人を超え[18]、現在は362万2,216人(2007年(平成19年)6月1日推計[19]))と全国の市で最も多い。[20](参照)これは、高度成長期以降の東京一極集中に伴い、各社鉄道網に沿って郊外の宅地開発が進み、主に東京のベッドタウン、衛星都市として発展したことが大きな要因である。特に、横浜都心に直接接続しない田園都市線沿線や横浜市北部を中心として、横浜に住んで東京に通勤通学する横浜都民が増加している。また神奈川県人口の約41%を横浜市が占めているなど、同県内でも都市化が進んでいる。 世帯数 : 1,507,645世帯(2007年(平成19年)1月1日現在) 外国人登録者数 : 70,993人(2006年(平成18年)12月31日現在) [編集] 市政 東京一極集中も手伝って人口最大市となった横浜市であるが、当面の課題としては、幹線道路整備の遅れ(都市計画道路整備率は、平成18年3月31日時点で62.3%[21])による市内各拠点と郊外住宅地を結ぶ体系化の未達、低い昼夜間人口比率(平成17年国勢調査によれば、90.4[22])、市域の一体的な発展などがある。人口急増により、都市基盤整備や地域経済圏の確立が遅れた地域もあるため、市内の一体感に乏しいとも指摘されている。直面する課題に向けた政策推進力が求められている。 歴代市長(カッコ内は任期)[23] 増田知(1889年(明治22年)6月18日 - 1890年(明治23年)2月15日) 佐藤喜左右衛門(1890年(明治23年)3月3日 - 1896年(明治29年)3月2日) 梅田義信(1896年(明治29年)6月3日 - 1902年(明治35年)9月20日) 市原盛宏(1903年(明治36年)1月9日 - 1906年(明治39年)5月2日) 三橋信方(1906年(明治39年)9月28日 - 1910年(明治43年)6月25日) 荒川義太郎(1910年(明治43年)9月10日 - 1913年(大正2年)11月13日) 安藤謙介(1914年(大正3年)7月24日 - 1918年(大正7年)7月23日) 久保田政周(1918年(大正7年)8月26日 - 1922年(大正11年)5月27日) 渡辺勝三郎(1922年(大正11年)11月29日 - 1925年(大正14年)4月10日) 有吉忠一(1925年(大正14年)5月7日 - 1931年(昭和6年)2月26日) 大西一郎(1931年(昭和6年)3月3日 - 1935年(昭和10年)7月18日) 青木周三(1935年(昭和10年)8月3日 - 1941年(昭和16年)2月10日) 半井清(1941年(昭和16年)2月10日 - 1946年(昭和21年)11月30日) 石河京市(1947年(昭和22年)4月9日 - 1951年(昭和26年)4月4日) 平沼亮三(1951年(昭和26年)4月25日 - 1955年(昭和30年)4月3日) 平沼亮三(1955年(昭和30年)4月25日 - 1959年(昭和34年)2月13日。在職中死去。) 半井清(1959年(昭和34年)4月25日 - 1963年(昭和38年)4月22日) 飛鳥田一雄(1963年(昭和38年)4月23日 - 1967年(昭和42年)4月22日) 飛鳥田一雄(1967年(昭和42年)4月23日 - 1971年(昭和46年)4月22日) 飛鳥田一雄(1971年(昭和46年)4月23日 - 1975年(昭和50年)4月22日) 飛鳥田一雄(1975年(昭和50年)4月22日 - 1978年(昭和53年)3月1日) 細郷道一(1978年(昭和53年)4月16日 - 1982年(昭和57年)4月15日) 細郷道一(1982年(昭和57年)4月16日 - 1986年(昭和61年)4月15日) 細郷道一(1986年(昭和61年)4月15日 - 1990年(平成2年)2月15日。在職中死去。) 高秀秀信(1990年(平成2年)4月8日 - 1994年(平成6年)4月7日) 高秀秀信(1994年(平成6年)4月8日 - 1998年(平成10年)4月7日) 高秀秀信(1998年(平成10年)4月8日 - 2002年(平成14年)4月7日) 中田宏(2002年(平成14年)4月8日 - 2006年(平成18年)4月7日) 中田宏(2006年(平成18年)4月8日 - 、任期満了日は2010年(平成22年)4月7日) 財政[24] 平成19年度(2007年度)予算 一般会計 1兆3,310億円 市税収入見込額 7,309億円 市債 1,171億円(平成19年度末の市債残高は2兆3,922億円の見込み) 特別会計 1兆4,029億円 公営企業会計 6,643億円 全会計純計[25] 2兆5,041億円 平成17年度(2005年度)決算 一般会計 歳入決算額 (A) 1兆2,991億円(うち市税収入 6,677億円) 歳出決算額 (B) 1兆2,839億円 形式収支 (C)=(A)-(B) 151億9,800万円 翌年度への繰越財源 (D) 104億1,800万円 実質収支 (E)=(C)-(D) 47億8,000万円 特別会計 歳入決算額 (A) 1兆5,177億円 歳出決算額 (B) 1兆5,068億円 形式収支 (C)=(A)-(B) 108億8,800万円 翌年度への繰越財源 (D) 4,200万円 実質収支 (E)=(C)-(D) 108億3,800万円 [編集] 議会 横浜市では市議会を市会と呼んでいる。これは他の旧5大市の名古屋市、京都市、大阪市、神戸市も同様。[26] 横浜市会 議長:藤代 耕一(ふじしろ こういち、選出日:2007年5月15日) 副議長:花上 喜代志(はなうえ きよし、選出日:2007年5月15日) 議員定数:総数 92人 各区ごとの定数(2007年4月現在) 選挙区 定数 選挙区 定数 選挙区 定数 鶴見区 7 神奈川区 6 西区 2 中区 4 南区 5 港南区 6 保土ケ谷区 5 旭区 6 磯子区 4 金沢区 5 港北区 8 緑区 4 青葉区 8 都筑区 5 戸塚区 7 栄区 3 泉区 4 瀬谷区 3 会派の構成(2007年5月11日現在) 会派名 議席数 代表者 自由民主党 30 川口正寿(瀬谷区) 民主党 20 森 敏明(保土ケ谷区) 公明党 16 仁田昌寿(南区) 民主党ヨコハマ会[27] 12 菅野義矩(青葉区) 無所属クラブ[28] 7 井上さくら(鶴見区) 日本共産党 5 大貫憲夫(青葉区) [編集] 国政・県政 横浜税関(クイーンの塔) 横浜市開港記念会館(ジャックの塔) [編集] 国の機関 横浜市に置かれる国の機関は以下の通り。[29]横浜市に置かれる各省庁の地方支分部局のうち、関東地方(もしくはそれよりも広い地域)を統括するものは、国土交通省の関東地方整備局・関東運輸局、海上保安庁第三管区海上保安本部など、数少ない。それらの多くは中区山下町の横浜地方合同庁舎、もしくは中区北仲通の横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)に所在する。他の省庁の地方支分部局で関東地方を統括するものは、埼玉県さいたま市のさいたま新都心にそのほとんどが置かれている。 国の行政機関 警察庁:関東管区警察局神奈川県情報通信部 総務省:関東管区行政評価局神奈川行政評価事務所 法務省:横浜刑務所、横浜拘置支所、横浜少年鑑別所、横浜保護観察所、横浜地方法務局、東京入国管理局横浜支局、公安調査庁横浜公安調査事務所、横浜地方検察庁 財務省:横浜税関、税関研修所横浜支所、関東財務局横浜財務事務所、国税庁東京国税不服審判所横浜支所、東京国税局税務相談室分室(4ヶ所)、税務署(7ヶ所) 厚生労働省:横浜検疫所、関東信越厚生局麻薬取締部横浜分室、神奈川労働局、労働基準監督署(4ヶ所)、公共職業安定所(8ヶ所)、社会保険庁神奈川社会保険事務局、社会保険事務所(5ヶ所) 農林水産省:横浜植物防疫所、動物検疫所、関東農政局神奈川農政事務所 経済産業省:関東経済産業局横浜通商事務所 国土交通省:関東地方整備局、関東運輸局、神奈川運輸支局、船員中央労働委員会関東船員地方労働委員会、気象庁東京管区気象台横浜地方気象台、海上保安庁第三管区海上保安本部(横浜海上防災基地)、海難審判庁横浜地方海難審判庁、横浜地方海難審判理事所 防衛省:装備本部横浜支部、防衛施設庁横浜防衛施設局、自衛隊神奈川地方協力本部、陸上自衛隊横浜駐屯地(中央輸送業務隊、東部方面調査隊横浜派遣隊、第316基地通信隊横浜派遣隊、第113地区警務隊横浜連絡班) 司法機関 横浜地方裁判所横浜地方裁判所 横浜家庭裁判所 横浜簡易裁判所 神奈川簡易裁判所 保土ヶ谷簡易裁判所(通称・交通裁判所) 独立行政法人(太字は本部が所在) 国際協力機構横浜国際センター 通関情報処理センター横浜事務所 理化学研究所横浜研究所 日本スポーツ振興センター神奈川県支部 日本学生支援機構 海洋研究開発機構横浜研究所 勤労者退職金共済機構建設業退職金共済事業本部神奈川県支部 雇用・能力開発機構 国立病院機構横浜医療センター、南横浜病院 農林水産消費技術センター横浜センター 水産総合研究センター 農畜産業振興機構横浜事務所 日本貿易振興機構横浜貿易情報センター 航海訓練所 自動車検査独立行政法人関東検査部神奈川事務所 鉄道建設・運輸施設整備支援機構 自動車事故対策機構神奈川支所 海上災害防止センター 都市再生機構 特殊法人 日本郵政株式会社神奈川監査室、南関東支社、横浜貯金事務センター、横浜逓信病院 東日本電信電話株式会社神奈川支店 日本放送協会横浜放送局、営業センター(横浜西口) 国民生活金融公庫横浜支店、横浜西口支店 日本たばこ産業株式会社横浜支店、たばこ中央研究所、医薬探索研究所 放送大学学園放送大学神奈川学習センター 日本銀行横浜支店 日本中央競馬会ウインズ横浜 中小企業金融公庫横浜支店 商工組合中央金庫横浜支店、横浜西口支店 東日本高速道路株式会社関東支社事務所京浜管理事務所、横浜工事事務所 中日本高速道路株式会社横浜支社 首都高速道路株式会社神奈川建設局、神奈川管理局 日本貨物鉄道株式会社神奈川営業支店 [編集] 県の機関 神奈川県庁本庁舎(キングの塔)神奈川県庁、神奈川県警察本部、神奈川県立図書館など、多くの機関が所在する。 [編集] 国会議員 衆議院[30] 選挙区 議員名 所属政党 神奈川1区(中区・磯子区・金沢区) 松本純 自由民主党 神奈川2区(西区・南区・港南区) 菅義偉 自由民主党 神奈川3区(鶴見区・神奈川区) 小此木八郎 自由民主党 神奈川4区(栄区・鎌倉市・逗子市・葉山町) 林潤 自由民主党 神奈川5区(戸塚区・泉区・瀬谷区) 坂井学 自由民主党 神奈川6区(保土ケ谷区・旭区) 上田勇 公明党 神奈川7区(港北区・都筑区) 鈴木恒夫 自由民主党 神奈川8区(緑区・青葉区) 江田憲司 無所属 比例区 - 岩國哲人(民主党)、福田峰之(自由民主党)、池田元久(民主党) [編集] 県議会議員 各区ごとの神奈川県議会定数(2007年(平成19年)4月現在)[31] 選挙区 定数 選挙区 定数 選挙区 定数 鶴見区 3 神奈川区 3 西区 1 中区 2 南区 2 港南区 3 保土ケ谷区 2 旭区 3 磯子区 2 金沢区 3 港北区 4 緑区 2 青葉区 4 都筑区 2 戸塚区 3 栄区 1 泉区 2 瀬谷区 1 [編集] 地域 東京、川崎から続く市域の沿岸部には、京浜工業地帯が広がる。埋立地を中心とした地域には、鉄鋼業や化学工業などの大規模工場や、火力発電所が多く、内陸部にかけた地域は、部品や食品などの中小規模事業所が多い。横浜駅へ鉄道路線を集中したため、商業の中心地は関内地区から横浜駅周辺へと移っている。そのためもともとの中心地であった伊勢佐木町や関内の相対地位が低下しており、その中間に位置する「みなとみらい21(横浜ランドマークタワー他)」を整備することで都心の一体化を目指している。また、新幹線駅を持つ新横浜を始め、上大岡、戸塚、二俣川・鶴ヶ峰、鶴見、港北ニュータウンなど、副都心としての機能を持つ街の整備を図り、都市機能の集積や地域経済強化に注力している。 NTT市外局番はほぼ全域が「045」(横浜MA)。ただし、青葉区奈良町のごく一部に「042」(相模原MA)、鶴見区尻手のごく一部に「044」(川崎MA)地域がある。 日本の音風景100選:横浜港新年を迎える船の汽笛 [編集] 行政区 横浜市は現在18区で構成される。区名と主要な施設・観光地は以下のとおり。 神奈川県横浜市の各区 横浜みなとみらい21 横浜・八景島シーパラダイス 横浜マリンタワー鶴見区 - 総持寺、鶴見つばさ橋、横浜ベイブリッジ、三ッ池公園、花月園競輪場、電気の史料館 神奈川区 - 浦島太郎伝説、三ツ沢公園球技場、高島嘉右衛門、本覚寺、ポートサイド地区、旧神奈川宿 西区 - 横浜みなとみらい21、横浜ランドマークタワー、クイーンズスクエア横浜、三菱みなとみらい技術館、パシフィコ横浜、横浜美術館、横浜能楽堂、横浜観光コンベンション・ビューロー、野毛山公園・野毛山動物園 中区 - 横浜赤レンガ倉庫、よこはまコスモワールド、コスモクロック21(よこはまコスモワールド内にある大観覧車)、三渓園、本牧市民公園、元町、中華街、横浜マリンタワー、横濱カレーミュージアム(閉館)、横浜スタジアム、山下公園、根岸森林公園・馬の博物館、県立音楽堂 南区 - 横浜市立大学附属市民総合医療センター、弘明寺 保土ケ谷区 - 旧保土ヶ谷宿、横浜国立大学、横浜ビジネスパーク、県立保土ヶ谷公園 磯子区 - 根岸森林公園、横浜市電保存館、横浜こども科学館、三殿台遺跡、円海山(浜マーケット) 金沢区 - 金沢自然動物公園、横浜・八景島シーパラダイス、金沢文庫、称名寺、横浜市立大学、海の公園、野島公園、明治憲法起草の碑、横浜ベイサイドマリーナ、金沢シーサイドライン、横浜市立大学附属病院 港北区 - 新横浜プリンスホテル、横浜アリーナ、横浜国際総合競技場、新横浜ラーメン博物館 戸塚区 - 舞岡公園、旧戸塚宿、戸塚カントリー倶楽部 港南区 - 久良岐公園、神奈川県戦没者慰霊堂、ゆめおおおか、京急百貨店、ウイング上大岡 旭区 - よこはま動物園ズーラシア、 こども自然公園(大池公園) 緑区 - 四季の森公園、三保市民の森 瀬谷区 - 海軍道路、瀬谷市民の森、長屋門公園 栄区 - 地球市民かながわプラザ、上郷森の家、本郷ふじやま公園 泉区 - かまくらみち、相鉄ギャラリー 青葉区 - こどもの国、寺家ふるさと村 都筑区 - 横浜市歴史博物館、大塚・歳勝土遺跡、横浜国際プール、港北ニュータウン 住所の表記 「保土ケ谷区」や「市ケ尾町」など、横浜市では公式の表記において『ヶ』を『ケ』と記している。また一般的に『ヶ』が用いられている町名を、公式の表記において『が』と記す場合もある。[32] 「丁目」の数字においては漢数字と算用数字が併用されている。 アラビア数字は「字丁目」としての表記に用いられており、主に戦前からの町名に用いられている。 漢数字は戦後に住居表示を実施した地域、土地区画整理事業などにより町名が変更された地域で用いられている(長津田みなみ台などの例外あり)。 [編集] 観光 横浜赤レンガ倉庫 横浜中華街・善隣門 [編集] 施設 山下公園 横浜中華街 横浜外人墓地 横浜みなとみらい21 横浜ベイサイドマリーナ 横浜ワールドポーターズ 横浜赤レンガ倉庫 横浜マリンタワー 大さん橋 [編集] 祭り 野毛大道芸 みなと祭国際仮装行列 横浜国際女子駅伝 開港記念バザー 開港祭 横浜フランス映画祭 神奈川新聞花火大会 みなと祭国際花火大会 サマーナイトフェスティバル ヨコハマカーニバル お三の宮例大祭 三蹊園観月会 JATA国際観光会議&世界旅行博 ワールドフェスタ・ヨコハマ 横浜オクトーバーフェスト 横浜ジャズプロムナード 横浜トリエンナーレ [編集] 娯楽 横浜スタジアムスポーツ 横浜市を本拠地とする主なスポーツ・チームは以下の通り。 横浜ベイスターズ(プロ野球セントラル・リーグ) 横浜F・マリノス(プロサッカーJリーグ1部) 横浜FC(プロサッカーJリーグ2部) 横浜ギガスピリッツ(バスケットボール、いすゞ自動車→横浜ギガキャッツ→横浜ギガスピリッツ。現在プロリーグ参戦を目指している。) 大日本プロレス(プロレス団体) 横浜プロレス(大日本プロレスの別ブランドとして旗揚げされたローカルインディー団体) NEO女子プロレス(女子プロレス団体) 芸能 交通の便が良いため、コンサート、ライブ等は多数開催されている。#横浜市出身の有名人で見られるように、輩出している芸能人は多いものの地元への定着性は低い。これは、地元密着のマスコミが少ないためであり、東京を除く関東広域圏共通の傾向でもある(詳しくはローカルタレントの項を参照)。 大規模な娯楽施設 横浜国際総合競技場横浜アリーナ 横浜国際総合競技場(日産スタジアム) 横浜国際プール(ウォーターアリーナ) 横浜スタジアム 横浜・八景島シーパラダイス 花月園競輪場 よこはま動物園ズーラシア [編集] 経済 横浜ランドマークタワー クイーンズスクエア横浜横浜経済の特徴としては、市外からの所得が東京特別区及び12政令都市の中で最大となっていることが挙げられる。また、市内総生産と市内最終需要を比較すると需要が供給を上回っており、移入超過となっている。[33] 市内総生産 横浜市の市内総生産は、12兆6814億円(平成15年)。これは、神奈川県シェアでは41.2%、全国シェアでは2.5%となる。また、この規模を都道府県と比較すると10位の静岡県と11位の茨城県の間に位置し、OECD諸国と比較すると24位のポルトガルと25位のチェコの間に位置する。他の政令指定都市との比較では、大阪市の約6割の規模であり、名古屋市とほぼ同じ。 内訳は、第一次産業が119億円 (0.1%)、第二次産業が2兆7473億円 (21.7%)、第三次産業が10兆4379億円 (82.3%) となっている。他の政令指定都市と比べ、第一次産業の額と第二次産業の建設業の割合、第三次産業の不動産業の割合が大きく、第三次産業の金融・保険業、卸売・小売業、サービス業の割合は小さいが、第三次産業は名古屋とほぼ同じ。 市民所得 横浜市の市民所得は11兆3077億円で、一人当たりでは320万6千円(平成15年)。これは、国民所得を100とすると110.9となる。 市民所得のうち雇用者報酬は9兆5924億円で、市民所得に占める割合は84.8%。これはいずれも政令指定都市の中で第1位である。市民所得のうち企業所得は1兆5427億円で、市民所得に占める割合は13.6%。政令指定都市中、額では第3位であるものの、割合では最下位の第12位となっている。 また、市民所得全体のうち、市外からの所得は2兆4727億円となっている。これは、市内から市外へ通勤する人の数が、市外から市内へ通勤する人の数より多いことを示している。2000年(平成12年)の国勢調査によれば、移動人口は、東京都区部、川崎市に対する流出超過となっている。 市内総支出 市内総支出(=市内総生産)は12兆6814億円。他の政令指定都市との比較では、家計の最終消費支出が大きいことが挙げられ、その額は8兆7137億円と大阪市(5兆4206億円)の1.6倍の規模である。横浜市の民間住宅投資は7372億円で、政令指定都市中第1位。民間企業設備投資は1兆5810億円で、第1位大阪市(2兆7027億円)の約6割の規模。公共投資は5208億円で、名古屋市(5854億円)に次ぐ第2位。 労働力・就業者数等(平成17年国勢調査より[34]) 横浜市の労働力率は62.0%となっている。これは全国平均 (61.5%) 並みで、政令指定市の中では第8位、首位の川崎市 (66.1%) より4.1ポイント少ない。 また、完全失業者数は97,464人、完全失業率は5.3%となっている。これは政令指定市のうち、広島市 (5.0%)、静岡市 (5.1%) に次いで、3番目に低い。 戦後、第1次産業の就業者数、就業者割合は一貫して減っている。第2次産業の就業者数および就業者割合は高度経済成長期に拡大。その後は産業構造の転換により、数の上では増減したものの割合は減少している。第3次産業の就業者数は一貫して増加しており、就業者割合も昭和35年を除いて常に拡大している。平成17年には就業者割合が74.8%に達した。 平成17年の産業別就業者割合を全国平均と比較すると、農業(全国4.4、横浜0.5)と製造業(全国17.3、横浜13.6)が低く、情報通信業(全国2.6、横浜6.6)とサービス業(全国14.3、横浜17.9)の割合が高くなっている。 横浜市における、産業3部門別就業者割合の推移(昭和25年から平成17年まで)15歳以上人口(A):3,063,487人 労働力人口(B):1,834,323人 就業者総数:1,736,859人 第1次産業:8,935人 (0.5%) 第2次産業:378,582人 (21.8%) 第3次産業:1,299,538人 (74.8%) 完全失業者数(C):97,464人 労働力率(B/A):62.0% 完全失業率(C/B):5.3% [編集] 産業 商業 事業所数は2万8527(平成16年6月1日現在、以下同じ)で、このうち卸売業は6523事業所、小売業は2万2004事業所となっている。従業者数は25万3026人で、うち卸売業は7万480人、小売業は18万2546人。年間商品販売額は9兆3105億円で、卸売業が5兆6889億円、小売業が3兆6216億円。小売業の売場面積は280万9693km2。 サービス業 サービス業の事業所数は、4万2566(平成16年サービス業基本調査、以下同じ)。従業者数は39万1346人で、うち常用雇用者数は32万249人。経費総額は4兆5300.75億円で、うち給与支出総額は1兆2464.65億円。設備投資額は1801.20億円。 工業 製造業に属する事業所数は、3577(平成17年工業統計調査、以下同じ)で、従業者数は10万9182人。製造品出荷額等は4兆3807億円、付加価値額は1兆3965億円、有形固定資産投資総額は1178億円となっている。 製造品出荷額の業種別構成比では、石油1兆568億円(24.1%)が最も多く、以下、一般機械6236億円 (14.2%)、輸送機械4998億円 (11.4%)、食料4635億円 (10.6%)、情報機器3593億円 (8.2%)、金属製品2411億円 (5.5%)、飲料1532億円 (3.5%)、電気機械1403億円 (3.2%)、非鉄1099億円 (2.5%)、化学1022億円 (2.3%)、その他14業種6310億円 (14.4%) と続く。 農業 都市化の中にありながら第一次産業である農業も近郊農業として確立し、盛んに行われている。横浜市内の農地面積は3,419ha と神奈川県内最大である。 横浜市独自の農業振興策として、市街化調整区域や生産緑地地区などの他に、農業専用地区という都市農業の確立と都市環境を守ることを目的とした地区が定められている。現在26地区、1011ha(うち田畑は613ha)が指定されており、横浜農業の中心として意欲的な農業経営が持続されている。 現在ではキャベツ・ホウレンソウ・コマツナ・ジャガイモなどをはじめ、「横浜ブランド農産物」の生産が意欲的に行われている。港北区綱島の桃「日月桃」や保土ヶ谷区の「保土ヶ谷いも」など、かつては全国に知られた野菜産地も市内に存在する。 [編集] 本社を置く主な企業 一般企業 東証1部上場 相模鉄道 ニッパツ 芝浦メカトロニクス クリエートメディック 日本ビクター 千代田化工建設 京三製作所 新興プランテック 日本農産工業 日本配合飼料 宇徳運輸 さが美 CIJ ニフコ グラフテック NECモバイリング サカタのタネ コロワイド 相鉄ローゼン ヨコレイ 岡村製作所 コナカ 図研 ナイス アルファ ユニプレス 協同飼料 ヨロズ アネスト岩田 アマノ CFSコーポレーション 日本発条 パイオラックス 古河電池 コーエー マクニカ アイネット 小野測器 富士ソフト 日揮 丸全昭和運輸 ファンケル パナソニック モバイルコミュニケーションズ(旧・松下通信工業) エーアンドエーマテリアル コカ・コーラセントラルジャパン 日産自動車(登記上の本店所在地。2009年に本社をみなとみらい21に移転予定) 東証2部上場 ベリテ ランド スルガコーポレーション 花月園観光 小糸工業 工藤建設 クリエイトエス・ディー アルプス物流 東京エレクトロン デバイス ゼロ ソディック エルナー テクノメディカ トリニティ工業 JASDAQ上場 ピーシーデポコーポレーション ヒップ 陽光都市開発 タウンニュース社 エバラ食品工業 トオカツフーズ 創健社 トーエル マザーズ上場 チップワンストップ 非上場、その他 日本飛行機 劇団四季(四季株式会社) タカナシ乳業 崎陽軒 富士通ワイエフシー 三和エナジー 横浜銀行本社ビル金融機関 横浜銀行 横浜信用金庫 神奈川銀行(旧神奈川相互銀行:第二地方銀行) メディア 神奈川新聞 テレビ神奈川(tvk:神奈川新聞傘下) アール・エフ・ラジオ日本 横浜エフエム放送 (Fm yokohama) 横浜コミュニティ放送 (FM-salus) [編集] 交通 [編集] 空港 市内に空港はなく、東京国際空港(羽田空港)が最寄りとなる。横浜駅東口バスターミナルに隣接するYCATを中心に、主要駅から羽田空港及び成田空港への空港リムジンバスが発着し、京浜急行電鉄が市内各駅と羽田空港駅を結ぶ列車を運行している。なお、IATA都市コード YOK を持つ。 [編集] 鉄道路線 横浜駅周辺 横浜駅西口主な路線のみ記載。中央駅は横浜駅、市役所本庁の最寄り駅は関内駅である。 横浜高速鉄道 こどもの国線 - 長津田駅〜こどもの国駅(全線市内) みなとみらい線 - 横浜駅〜元町・中華街駅(全線市内) 横浜市営地下鉄 ブルーライン - 下飯田駅〜あざみ野駅(湘南台駅〜関内駅は1号線、関内駅〜あざみ野駅は3号線が正式名称。湘南台駅は藤沢市にある) グリーンライン - (建設中、2008年開通予定。中山駅〜日吉駅。正式名称は4号線。横浜環状鉄道の一部。全線市内) 横浜新都市交通 金沢シーサイド線 - 新杉田駅〜金沢八景駅(全線市内。通称金沢シーサイドライン) 東日本旅客鉄道(JR東日本) 東海道本線 - 横浜駅〜戸塚駅〜(大船駅)(JR大船駅は鎌倉市の駅だが、ホーム横浜寄りの一部と、笠間口が横浜市栄区にかかっている) 横須賀線 - 横浜駅〜戸塚駅〜(大船駅) 京浜東北線 - 鶴見駅〜横浜駅(根岸線と直通運転) 横浜線 - 東神奈川駅〜長津田駅(京浜東北線、根岸線乗り入れ) 根岸線 - 横浜駅〜本郷台駅〜(大船駅)(大船駅を除き全線市内。京浜東北線や横浜線と直通運転) 南武線 - 矢向駅 鶴見線 - 鶴見駅〜安善駅、浅野駅〜海芝浦駅(海芝浦支線) 東海旅客鉄道(JR東海) 東海道新幹線:新横浜駅 東京急行電鉄 東横線 - 日吉駅〜横浜駅 田園都市線 - たまプラーザ駅〜長津田駅 京浜急行電鉄 本線 - 鶴見市場駅〜金沢八景駅 逗子線 - 金沢八景駅〜六浦駅 相模鉄道 本線 - 横浜駅〜瀬谷駅 いずみ野線 - 二俣川駅〜ゆめが丘駅 [編集] 路線バス 横浜市営バス各事業者の運行子会社は省略。 横浜市営バス - 旧市街地を中心に市域の約5割をカバー。一部路線を神奈中など民営に移管中。 京浜急行バス - 金沢区・磯子区中心。京急グループ 川崎鶴見臨港バス - 鶴見区中心。京急グループ。 東急バス - 港北区鶴見川以北・都筑区・青葉区中心。東急グループ。 江ノ島電鉄 - 港南区笹下地区、磯子区西南部、戸塚区JR以東および栄区豊田地区中心。小田急グループ。 小田急バス - 青葉区の一部に乗り入れる形。小田急グループ。 神奈川中央交通 - 戸塚区・栄区・泉区・瀬谷区・港南区・旭区・緑区・青葉区のJR以南中心。小田急グループ。 相模鉄道 - 相鉄沿線および神奈川区城郷地区中心。運行子会社を含む。 大新東バス - 金沢区南部の分譲地限定。 フジエクスプレス - 2007年4月1日より横浜市営バス134系統を全便移譲の上、一部運行経路を変更(桜木町駅〜中区本牧地区循環線)して運行を開始する。富士急行グループ 乗降方式は、地域・会社毎に異なる。市営バス・臨港バス・東急バス・小田急バス・大新東バスは前乗り後降りで、区間運賃制の路線であっても整理券は使用せず、乗車時に行き先を乗務員に告げて所定の運賃を支払う。京急バス・相鉄バス・江ノ電バス・神奈中バスは前乗り後降りの路線と後乗り前降りの路線があるが、これは地域(均一運賃制か区間運賃制)によって分かれる。なお、神奈中バスでは主として戸塚以西で前乗り前降りの路線も存在する。 運賃は均一運賃区間と区間運賃制を採る区間に分かれる。後者は主として金沢区・戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区および旭区の大部分と緑区の一部であり、それ以外の地区は均一運賃制である。 ※境界バス停 ェ政・京町三丁目・池田一丁目・南幸町・末吉橋西詰・鷹野大橋・江川町・井田坂・蟹ヶ谷・県営久末・道中坂下・すみれが丘公園・美しが丘三丁目・美しが丘西一丁目・保木・すすき野団地・すすき野二丁目・早野・三輪緑山二丁目(以上、川崎運賃との境界) 杉山神社前・長津田駅・公園前・若葉台西・大貫橋・緑警察署前・都岡辻・今宿・二俣川駅北口・万騎が原大池・環2今井・星川ランプ・富士見橋・さかえ橋・東戸塚駅東口・不動坂・戸塚駅東口・港南車庫入口・日野南中学校前・中野町公園前・上郷高校・市民の森入口・上の前・杉田・慶珊寺前・東柴町(以上、区間運賃との境界。これより内側が均一運賃となる。) [編集] 道路 横浜市は「横浜国際港都建設法」という法律により、本邦の代表的な国際港都でなければならない旨が規定されている(法第一条)。そのための都市計画として「横浜国際港都建設計画」があり、そのうちの道路事業が「横浜国際港都建設道路事業」である。 道路整備分野では「ゆめはま2010プラン」などで横浜の都心まで30分の交通体系整備を実現させる旨が宣言されており、幹線道路として3環状10放射からなる道路建設が進められている。市内の都市計画道路の整備率は、平成18年3月31日時点で62.3%。 3環状 横浜市道17号環状2号線 横浜市道環状3号線 横浜市道18号環状4号線 10放射 横浜藤沢線 羽沢池辺線 横浜市道都市計画道路山下長津田線 神奈川県道21号横浜鎌倉線(鎌倉街道) 桂町戸塚遠藤線 神奈川県道22号横浜伊勢原線(用田バイパス、長後街道) 神奈川県道102号荏田綱島線/都市計画道路日吉元石川線 神奈川県道12号横浜上麻生線 横浜逗子線(笹下釜利谷道路) 権太坂和泉線 高速自動車国道 東名高速道路:横浜青葉IC - 横浜町田IC 高規格幹線道路 首都圏中央連絡自動車道 地域高規格道路 第三京浜道路(国道466号 都筑IC - 港北IC - 羽沢IC - 保土ヶ谷IC) 横浜新道(保土ヶ谷IC - 常盤台IC - 峰岡IC - 星川IC - 藤塚IC - 新保土ヶ谷IC - 今井IC - 川上IC - 上矢部IC) 横浜横須賀道路本線(狩場IC - 別所IC - 日野IC - 港南台IC - 朝比奈IC) 横浜横須賀道路金沢支線(堀口能見台IC - 並木IC) 核都市広域幹線道路 保土ヶ谷バイパス(新保土ヶ谷IC - 新桜ヶ丘IC - 南本宿IC - 本村IC - 下川井IC - 上川井IC) 首都高速道路 K1 神奈川1号横羽線(浅田出入口 - 汐入出入口 - 生麦出入口 - 守屋町出入口 - 子安出入口 - 東神奈川出入口 - 横浜駅東口出入口 - みなとみらい出入口 - 横浜公園出入口) K2 神奈川2号三ツ沢線(横浜駅西口出入口 - 三ツ沢出入口) K3 神奈川3号狩場線(新山下出入口 - 山下町出入口 - 石川町出入口 - 阪東橋出入口 - 花之木出入口 - 永田出入口) K5 神奈川5号大黒線 B 湾岸線(大黒ふ頭出入口 - 本牧ふ頭出入口 - 三渓園出入口 - 磯子出入口 - 杉田出入口 - 幸浦出入口) 横浜藤沢線 環状2号 横浜北部放射連絡道路 横浜ベイブリッジ(上層部は首都高速道路湾岸線、下層部は国道357号)一般国道 国道1号(第二京浜、東海道) 国道15号(第一京浜、東海道) 国道16号(東京外環) 国道246号(厚木街道) 国道357号(東京湾岸道路) 主要地方道 神奈川県道2号東京丸子横浜線 神奈川県道6号東京大師横浜線 神奈川県道12号横浜上麻生線 神奈川県道13号横浜生田線 神奈川県道14号鶴見溝ノ口線 神奈川県道21号横浜鎌倉線 神奈川県道22号横浜伊勢原線 神奈川県道23号原宿六ツ浦線 神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線 神奈川県道40号横浜厚木線 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線 主要市道 環状1号、環状2号、環状3号、環状4号、横浜市道新横浜元石川線 [編集] 船舶 [編集] 横浜港 詳細は横浜港を参照 横浜港は、開港当初から昭和初期に至るまで、綿花などの原料・鉄類・機械の輸入と、生糸・綿糸・絹織物の輸出を主とし、特に生糸貿易港として発展した。その後、京浜工業地帯の発展に伴い、鉄鋼・機械類・油脂の輸入と、機械類・金属製品・鉄鋼の輸出を主とする工業港となる。現在では、コンテナ貨物取扱や倉庫物流の拠点としても重要な役割を担っている[35]。横浜港は、日本有数の貿易港となり、東京港と併せて京浜港として指定特定重要港湾(スーパー中枢港湾)に指定されている[36]。また横浜港は、明治以来、海外渡航者の海路玄関口の一つとして、大さん橋や新港埠頭に多くの客船や移民船が出入りした。1960年代以降は外国航路が空路に替わり、国内航路の中心が東京港に移ったことにより、客船ターミナルとしての役割は衰退した。 1990年代になると、クルーズ客船による船旅が活発化し始める。横浜市で決勝戦が行われたFIFAワールドカップ日韓大会開催のため、国内外から訪れる観光客に誇れる立派な客船ターミナルが必要とされたこともあり、2002年(平成14年)6月に大さん橋国際客船ターミナルが新装オープンした。横浜市は、これにあわせてクルーズ客船の寄港誘致に積極的に乗りだした。クルーズ客船の着岸料金の半額を横浜市が負担するなどした結果、横浜港への日本船籍のクルーズ客船の寄港回数は、新装前の2倍以上へと増えて、2003年度に初めて国内1位になり、2006年度まで国内1位を続けている[37]。 大さん橋しかし、2007年現在は外国航路の定期路線が存在せず、国内航路の定期路線も少ないため、国内主要旅客港との乗降客数の比較では、外国航路において大阪港の7分の1程度の規模、内国航路においては神戸港・東京港の30〜20分の1程度の規模と、低い数値となっている。 東海汽船により伊豆大島への定期航路がある。 横浜港遊覧 大桟橋発着:ロイヤルウイング 山下公園発着:マリンルージュ、その他 シーバスが横浜駅東口、みなとみらいの「ぷかり桟橋」、山下公園を結ぶ。 [編集] 文化施設 横浜国際プール(ウォーターアリーナ) 横浜アリーナホール・集会場 神奈川県民ホール 関内ホール パシフィコ横浜 横浜アリーナ 図書館 神奈川県立図書館(本館) 横浜市立図書館 横浜市中央図書館をはじめ各区1館ずつ配置された17館で構成されており、全体では約360万冊を所蔵し日本でも屈指の規模を誇る。図書館カードは各館共通で使える。 博物館 中区を中心に多数存在。 美術館 横浜美術館(西区) 建築家丹下健三の設計。 他にも中区を中心に多数存在。 公民館 横浜市では「地区センター」、「コミュニティハウス」が相当する。各区に数箇所存在。 スポーツ施設 横浜文化体育館 スポーツセンター - すべての区に存在する。 [編集] 教育 学校 学校数 幼稚園 296 私立 296 小学校 360 国立 1 市立 349 私立 10 中学校 179 国立 1 市立 146 私立 32 高等学校 96 県立 49 市立 9 私立 38 中等教育学校 1 私立 1 特別支援学校 20 国立 1 県立 6 市立 11 私立 2 市域に設置されている幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、および特別支援学校の数は、右表の通り(いずれも平成18年度学校基本調査より。以下同じ)。また、専修学校は60校、各種学校は11校設置されている。[38]各種学校等の外国人学校は9校設置されている。[39]校名等は、各区の記事を参照のこと。 大学は16校(本部所在校は11校)、短期大学は7校、短期大学校は2校設置されている。高等専門学校は設置されていない。[40]校名一覧は下記のとおり。 [編集] 大学・短期大学 大学 国公立 横浜国立大学 横浜市立大学 東京工業大学 私立 神奈川大学 関東学院大学 慶應義塾大学 武蔵工業大学 明治学院大学 東洋英和女学院大学 フェリス女学院大学 横浜商科大学 日本体育大学 國學院大學 桐蔭横浜大学 鶴見大学 横浜薬科大学 短期大学 公立 神奈川県立外語短期大学 横浜市立大学看護短期大学部(2006年廃止) 私立 横浜美術短期大学 横浜女子短期大学 カリタス女子短期大学 横浜創英短期大学 鶴見大学短期大学部 短期大学校 港湾職業能力開発短期大学校横浜校 神奈川県立産業技術短期大学校 [編集] 姉妹・提携都市 [編集] 国内 横浜市は山梨県南都留郡の道志村と友好・交流に関する協定を結んでいる。[41] 友好・交流に関する協定 横浜市と道志村の友好・交流に関する協定書(2004年(平成16年)6月22日調印) - 「市民と村民が相互に活発な交流を進め、持続的な友好交流が行われるよう努める」ことなど、3項目に合意。 「横浜市民ふるさと村」に関する覚書(2004年(平成16年)6月22日調印) - 道志村を「横浜市民ふるさと村」とすることなど、3項目に合意。 [編集] 国外 横浜市は7都市と姉妹都市提携、1都市と友好都市提携し、1都市とビジネスパートナー都市提携している[42][43]。また、横浜港は3港と姉妹港提携、2港と友好港提携し、1港と貿易協力港提携している。[44] このほか、横浜市は、ドイツのフランクフルトと中国の上海(財団法人横浜産業振興公社が運営)に海外事務所を置いている。かつては、マレーシアのクアラルンプール(2003年(平成15年)6月末に閉鎖)、アメリカのニューヨーク(2007年(平成19年)3月末に閉鎖)にも海外事務所を置いていた。 姉妹都市 サンディエゴ市(アメリカ合衆国)- 1957年(昭和32年)10月29日提携 リヨン市(フランス共和国)- 1959年(昭和34年)提携 ムンバイ市(インド)- 1965年(昭和40年)6月26日提携 オデッサ市(ウクライナ)- 1965年(昭和40年)7月1日提携 バンクーバー市(カナダ)- 1965年(昭和40年)7月1日提携 マニラ市(フィリピン共和国)- 1965年(昭和40年)7月1日提携 コンスタンツァ市(ルーマニア)- 1977年(昭和52年)10月12日提携 友好都市 上海市(中華人民共和国) - 1973年(昭和48年)11月30日提携 ビジネスパートナー都市 ホーチミン市(ベトナム社会主義共和国) - 2007年(平成19年)10月23日提携 姉妹港 オークランド港(アメリカ合衆国) - 1980年(昭和55年)5月2日姉妹港提携 バンクーバー港(カナダ) - 1981年(昭和56年)5月15日姉妹港提携 ハンブルク港(ドイツ) - 1992年(平成4年)10月27日姉妹港提携 友好港 上海港(中華人民共和国) - 1983年(昭和58年)10月12日友好港提携 大連港(中華人民共和国) - 1990年(平成2年)9月5日友好港提携 貿易協力港 メルボルン港(オーストラリア) - 1986年(昭和61年)5月24日貿易協力港提携 海外事務所 横浜市フランクフルト事務所 - 1997年(平成9年)6月開設 財団法人横浜産業振興公社上海事務所 - 1987年(昭和62年)10月開設 [編集] 横浜市に関する音楽・映画その他の作品 各区の歌は各区別記事を参照。 横浜市歌 作詞:森林太郎(森鴎外) 作曲:南能衛 横浜音頭 山野芋作(長谷川伸)による同名の小説がある。後に舞台化され大正3年(1913年)横浜座で初演。 いいね!横浜G30 作詞:駒井瞭 作曲:横山剣(クレイジーケンバンド) 横浜市環境事業局「ヨコハマはG30」タイアップ曲。横浜市内では、ごみ収集時に流される。 アーティスト 1980年代初頭に、横浜の名を冠したロックバンドの横浜銀蝿が一世を風靡した。 歌謡曲 横浜を歌ったご当地ソングの数は、長崎と並んで日本最多規模を誇る。1998年1月3日放送の「出没!アド街ック天国」で紹介された「全国名曲の街ベスト50」では、第一位は横浜(ブルーライト・ヨコハマ)だった。 ブルーライト・ヨコハマ(いしだあゆみ/上原多香子) 伊勢佐木町ブルース(青江三奈) 別れのブルース(淡谷のり子) 港町十三番地(美空ひばり) 追いかけてヨコハマ(中島みゆき/桜田淳子) 横浜いれぶん(木之内みどり) ヨコハマA・KU・MA(中森明菜) ヨコハマ・スイート・レイン(小泉今日子) 待ちくたびれてヨコハマ(柏原芳恵) 海を見ていた午後(荒井由実) 港の見える丘(プリンセス・プリンセス) YOKOHAMA SING A SONG(松浦亜弥) 横浜蜃気楼(後藤真希) 桜木町(ゆず) 横浜リリー(ポルノグラフィティ) 横浜Boy Style(CoCo) ふりむけばヨコハマ(マルシア) ヨコハマ・シルエット(長山洋子) Miss YOKOHAMADULT(原由子) 横浜ベイスターズ応援歌「WINNING」(CoCo) 横浜Fマリノス応援歌「YokohamaFightOn」(TommySnyder) 横浜FC応援歌「Wings of Freedom」(THE ALFEE) よこはま・たそがれ(五木ひろし) サヨナラ横浜(石原裕次郎) よこはま物語(石原裕次郎) 横浜恋あかり(北島三郎) 横浜スタジアム(イルカ) いま目覚めた子供のように(山口百恵) 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド) ヨコハマ・チーク(近藤真彦) Yokohama Honky Tonk Blues(松田優作) 本牧奇談(柳ジョージとレイニーウッド) 冷たい太陽(舘ひろし) ベイ・ブリッジ・セレナーデ(浜田省吾) 横浜DAYBREAK(柴田恭兵) アメ車と夜と本牧と(クレイジーケンバンド) One more time, One more chance(山崎まさよし) 夏服 最後の日(杉山清貴) Yokohama Bay Blues(南佳孝) ヨコハマ・ワルツ(スター☆にしきの) ヨコハマ港物語(角川博) 恋人も濡れる街角 (中村雅俊) ビューティフル・ヨコハマ(平山みき) 本牧ブルース(鹿内隆) 想い出のヨコハマ(Bobby Sherman)原題は"Okulahoma City Times"だが「ヨコハマ」に聞こえることからこのような邦題が付けられ日本でヒットした。 何処へ(渚ゆう子) とべたらほんこ(NHK少年ドラマシリーズ「とべたらほんこ」主題歌) ヨコハマ・エナジー(河合夕子) ドール(太田裕美) この道(北原白秋) LOVE AFFAIR 〜秘密のデート〜(サザンオールスターズ) Marmalade(Gackt)(2ndAlbumRebirthに収録)(歌詞内に横浜を思わせる表記は無いがGacktがパーソナリティを務めたラジオでリスナーからの質問に横浜の外人墓地から見える景色がこの曲の景色だと発言している) 映画、テレビドラマ ゴジラシリーズ 三大怪獣 地球最大の決戦 ゴジラVSモスラ ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 ゴジラ×メカゴジラ あぶない刑事シリーズ 私立探偵 濱マイク 探偵物語 大追跡 プロハンター ベイシティ刑事 名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌 ヨコハマメリー 俺たちの勲章 喰いタン (テレビドラマ) [編集] 出身有名人 詳細は横浜市出身の人物一覧を参照 [編集] 脚注 [ヘルプ]^ 本市徽章(明治42年6月5日告示第44号)に準拠。市章は、横浜港開港50周年を記念して、1909年(明治42年)に市民からの公募により定められた。「ハマ」の2文字が図案化されているため、市民には「ハマ菱」「ハマ章」「ハマ旗」と呼ばれて親しまれている。 ^ 関内地区の中区港町1-1には横浜市役所が、同日本大通1番地には神奈川県庁がある。 ^ 横浜村は、武蔵国久良岐郡に属する。「横浜」の名は、海から見たとき「横に長い浜」であることに由来するとされる。 ^ 横浜村は、安政6年(1859年)に横浜町となり、1878年(明治11年)には郡区町村編制法の施行により横浜区になっていた。 ^ 地方自治法(昭和22年法律第67号)252条の19第1項、地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市の指定に関する政令(昭和31年政令第254号)。 ^ 多極分散型国土形成促進法(昭和63年法律第83号)8条1号イ、多極分散型国土形成促進法施行令(昭和63年政令第194号)5 条1号、首都圏整備法(昭和31年法律第83号)2条3項、首都圏整備法施行令(昭和32年政令第333号)2条。 ^ この節は、「横浜市防災計画 震災対策編 YOKOHAMA2005」横浜市防災会議・発行、横浜市安全管理局危機管理室・編集、2006年(平成18年)3月を参照。 ^ 「横浜市統計ポータルサイト大都市比較統計年表(平成16年)I 土地及び気象 1。位置、面積及び市域の高低」 ^ 「グラフでみる神奈川(2007年3月発行版)」 神奈川県企画部統計課、2007年、20頁。 ^ 「過去の気象データ」 気象庁、横浜地方気象台。 ^ 「2007年さくら(ソメイヨシノ)の開花日及び満開日一覧(東京管内)」 気象庁。 ^ 横浜市立学校の管理運営に関する規則(昭和59年教育委員会規則第4号)4条1項8号は、小中学校における休業日として「開港記念日 6月2日」と定めている。 ^ 関東大震災による死者は2万人余、全壊家屋は6万戸にのぼる。 ^ 市街地の46%が被害を受けた。 ^ 横浜は、連合軍によって、港湾施設の90%、市街地の27%が接収された。接収された土地の面積は918万m2、建物は96万m2にのぼる。また、横浜の接収は、沖縄を除く全国の接収土地面積の70%、接収建物の61%を占め、その6割は継続接収であった。 ^ 横浜市都市経営局基地対策部 ^ 以下、「人口動態と年齢別人口」 横浜市行政運営調整局総務部総務課統計係参照。 ^ 「人口のあゆみ」横浜市行政運営調整局総務部総務課統計係 ^ 「横浜市人口ニュース」 横浜市行政運営調整局総務部総務課統計係 ^ 平成17年国勢調査「第1次基本集計結果」 総務省統計局、2006年。 ^ 「都市計画道路の整備状況」 横浜市道路局計画調整部企画課。 ^ 「平成17年国勢調査 従業地・通学地集計結果」 横浜市、総務省統計局 ^ 「市政記録2006年版」第1部 市勢編、横浜のあゆみ 横浜市市民活力推進局市民情報室 ^ この節は、横浜市行政運営調整局財政課のサイトを参照。 ^ 会計間で相互にやりとりする重複部分を除いた純計。 ^ 「横浜市会」横浜市市会事務局 ^ 民主党の一部とヨコハマから日本を変える会で構成する統一会派。 ^ 無所属や単独では交渉会派に至らない政党で構成する統一会派。「議会改革をめざし会派を形成〜横浜」神奈川ネットワーク運動・活動報告、2007年5月12日更新を参照。 ^ 「神奈川県内の行政機関ガイド」 総務省神奈川行政評価事務所。 ^ 「会派別議員一覧」衆議院、平成19年3月27日現在 ^ 「神奈川県議会ホームページ」神奈川県議会 ^ 詳しい表記などは、「横浜市の町名一覧(平成18年11月1日現在)」(横浜市市民活力推進局区政支援部窓口サービス課、2007年1月5日更新)を参照。 ^ この節は、「平成16年度 横浜市の市民経済計算(横浜市の市民所得)」(横浜市都市経営局政策部政策課、2007年(平成19年)3月26日公表)を参照。 ^ 平成17年国勢調査 第2次基本集計結果「横浜市の概要」 横浜市行政運営調整局総務部総務課統計係 ^ 「横浜港ホームページ」 横浜市港湾局 ^ 港湾法(昭和25年法律第218号)2条の2、平成16年7月23日国土交通大臣公示 ^ 2006年(1月〜12月)の日本船籍客船の寄港回数は、131回で4年連続国内1位。「クルーズ客船に人気があるのはどの港?」(2007年1月26日) クルーズオンライン ^ 「平成18年度学校基本調査」学校の概況(横浜市分) 横浜市都市経営局経営企画調整部調査・広域行政課、神奈川県企画部統計課 ^ 「平成18年度版 教育年鑑」 横浜市教育委員会 ^ 「平成18年度学校基本調査(確定値)」 ^ 「道志村との友好交流促進について」横浜市都市経営局調査・広域行政課、2007年1月4日更新 ^ 「国際交流」横浜市都市経営局国際政策室 ^ ベトナム・ホーチミン市と「ビジネスパートナー都市」提携、横浜市経済観光局誘致・国際経済課。 ^ 「姉妹港・友好港・貿易協力港」横浜市港湾局振興事業課。 [編集] 参考文献 横浜市 『横浜の歴史』 横浜市教育委員会事務局小中学校教育課、2007年。 「図説・横浜の歴史」編集委員会 『図説〈横浜の歴史〉市政一〇〇周年 開港一三〇周年』 横浜市市民局市民情報室広報センター、1989年。 [編集] 関連項目 P&O 香港上海銀行 [編集] 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、横浜市に関連するマルチメディアがあります。横浜市 - ウィキトラベル 横浜市 - 市の公式サイト 横浜観光コンベンション・ビューロー - 公式の横浜市観光情報サイト 横浜市統計ポータルサイト 大都市比較統計年表 横浜港ポータルサイト 国土地理院 地図閲覧サービス ウオッちず 国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所 原町田(北東) 荏田(北西) 荏田(北東) 川崎(北西) 原町田(南東) 荏田(南西) 荏田(南東) 川崎(南西) 川崎(南東) 座間(北東) 横浜西部(北西) 横浜西部(北東) 横浜東部(北西) 横浜東部(北東) 座間(南東) 横浜西部(南西) 横浜西部(南東) 横浜東部(南西) 横浜東部(南東) 藤沢(北東) 戸塚(北西) 戸塚(北東) 本牧(北西) 本牧(北東) 藤沢(南東) 戸塚(南西) 戸塚(南東) 本牧(南西) 鎌倉(北東) 横須賀(北西) [表示]表・話・編・歴日本の政令指定都市 北海道地方 札幌市 東北地方 仙台市 関東地方 さいたま市 - 千葉市 - 横浜市 - 川崎市 中部地方 新潟市 - 静岡市 - 浜松市 - 名古屋市 近畿地方 京都市 - 大阪市 - 堺市 - 神戸市 中国地方 広島市 九州地方 北九州市 - 福岡市 神奈川県の自治体等 横浜市: 鶴見区 | 神奈川区 | 西区 | 中区 | 南区 | 保土ケ谷区 | 磯子区 | 金沢区 | 港北区 | 戸塚区 | 港南区 | 旭区 | 緑区 | 瀬谷区 | 栄区 | 泉区 | 青葉区 | 都筑区 川崎市: 川崎区 | 幸区 | 中原区 | 高津区 | 多摩区 | 宮前区 | 麻生区 その他市部: 横須賀市 | 平塚市 | 鎌倉市 | 藤沢市 | 小田原市 | 茅ヶ崎市 | 逗子市 | 相模原市 | 三浦市 | 秦野市 | 厚木市 | 大和市 | 伊勢原市 | 海老名市 | 座間市 | 南足柄市 | 綾瀬市 三浦郡: 葉山町 高座郡: 寒川町 中郡: 大磯町 | 二宮町 足柄上郡: 中井町 | 大井町 | 松田町 | 山北町 | 開成町 足柄下郡: 箱根町 | 真鶴町 | 湯河原町 愛甲郡: 愛川町 | 清川村 ららぽーと横浜(ららぽーとよこはま)は、神奈川県横浜市都筑区のららぽーとのショッピングセンターである。2007年3月15日にオープン、核店舗は大丸とイトーヨーカ堂、東急ハンズ、TOHOシネマズである。JR横浜線鴨居駅近くにある日本電気横浜事業場跡地に建設された。大型マンションとの複合開発である。 目次 [非表示] 1 主な店舗 2 交通アクセス 2.1 鉄道 2.2 バス 2.3 自動車 3 関連項目 4 外部リンク [編集] 主な店舗 紀伊國屋書店 TOHOシネマズ(13スクリーン・約2,500席の県内最大級) 栄光 玄創工房(株式会社ナムコ) ユニリビング LaLaクラブ イトーヨーカ堂LP横浜店 大丸(県内初出店、食品に特化した業態での出店) 東急ハンズ(横浜市内2号店) フォートナム&メイソン ノジマ タリーズコーヒー SHIPS 無印良品 横浜銀行(ATM) [編集] 交通アクセス [編集] 鉄道 JR横浜線鴨居駅より徒歩7分 [編集] バス 横浜市営バス 運賃210円 以下の通り各路線が発着する。 41系統(大倉山駅前経由) 新横浜駅行、鶴見駅西口行 124・310系統 (石橋経由)センター南駅行 124系統 (鴨池大橋経由) 笹山団地中央行 [編集] 自動車 緑産業道路沿い 第三京浜道路港北ICより2.5km 東名高速道路横浜青葉ICより4.5km [編集] 関連項目 ららぽーと 三井不動産 日本のショッピングセンター一覧 NEC玉川ルネッサンスシティ [編集] 外部リンク ららぽーと横浜 この項目「ららぽーと横浜」は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。(ポータル 建築/ウィキプロジェクト 建築) この項目「ららぽーと横浜」は、企業関連の書きかけ項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。(ウィキプロジェクト 経済) カテゴリ: 神奈川県の商業施設 | 都筑区 | 関東地方のバス停 | ららぽーと 横浜中華街(よこはまちゅうかがい)は神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン(中華街)。140年の歴史をもつ。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当地の出身者が多い。所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている外国人の約4割にあたる。 約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。日本では、神戸南京町や長崎新地中華街とともに三大中華街とされる。 目次 [非表示] 1 歴史 2 華僑の祭り 3 交通 4 関連作品 5 外部リンク [編集] 歴史 朝陽門(東門) 関帝廟1859年、横浜が開港すると外国人居留地(一種の租界)が造成され、欧米人とともに多数の中国人買弁が来住した。その後、横浜と上海、香港間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていった。これが横浜中華街の起源である。 条約改正により、1899年に居留地が廃止されると、中国人は職業制限を受けたものの、居留地外にも住むことを許され、中華街はさらに発展した。しかし、1923年に発生した関東大震災で中華街は大打撃を受け、多数の中国人が帰国した。その後復興したものの、1937年に支那事変が勃発すると、貿易の仕事も難しくなり、停滞期に入った。 戦後の復興期に横浜港は賑わい、香港との往来も復活した。1955年には中華街大通りの入り口に善隣門が建てられ、牌楼(門)の上には街の正式名称として「中華街」が「親仁善隣」の四文字とともに掲げられた。1972年に日中国交回復すると、日本人が多数来場するようになり、観光地として発展していった。 2004年2月1日に横浜高速鉄道みなとみらい21線が開業し、終着駅として元町・中華街駅が設置された。駅の名称に「中華街」が入り、東京の渋谷駅から東急東横線の電車が直通運転されることで、中華街のアクセス状況や知名度は大幅に向上した。 2006年3月17日に開廟した横浜媽祖廟は開港から150周年を迎える横浜の新しい観光スポットとして横浜中華街に誕生した。媽祖は140年前に清国領事館と関帝廟に祀られていたとの記述が残されており、横浜中華街では古くから信仰を得ている。今回の開廟は言わば念願の復活である。 [編集] 華僑の祭り 春節 旧暦の正月 (陽暦1月〜2月) 中国の旧正月、中国で最も賑やかな祭りである。 清明節 旧暦4月5日 (陽暦5月頃) お墓参り 関帝誕 旧暦6月24日 (陽暦7月〜8月) 商売の神様、関帝の誕生日。 仲秋節(十五夜) [編集] 交通 カッコ内は最寄りの牌楼 横浜高速鉄道 みなとみらい21線・日本大通り駅(善隣門・玄武門) 横浜高速鉄道 みなとみらい21線・元町・中華街駅(朝陽門・朱雀門) 東日本旅客鉄道根岸線(京浜東北線)・石川町駅(西陽門・延平門) 東日本旅客鉄道根岸線(京浜東北線)・横浜市営地下鉄ブルーライン・関内駅(玄武門) [編集] 関連作品 あぶない刑事 - 劇中に華正楼(本店)・チャイハネ(パート1)・サルーワプロダクト(現在は建物が取り壊され、みぞほ銀行中華街出張所)・ポートヴィラ元町などが登場。なお、あぶない刑事の港署の署内レイアウトは、北門通りにある神奈川県警察加賀町警察署の署内を参考にした事は有名。 ゴジラVSモスラ - 劇中でモスラの衝撃波によって破壊される描写がある。 サザンオールスターズ -「チャイナムーンとビーフン娘」(2000年) 後藤真希 - シングル曲 「横浜蜃気楼」 (2004年) [編集] 外部リンク 横浜中華街公式サイト カテゴリ: 神奈川県の建築物・観光名所 | 中区 (横浜市) | 中華街 横浜アリーナ(よこはまアリーナ、Yokohama Arena)は、1989年4月1日に開業した多目的イベントホール。及び、それを管理・運営する株式会社横浜アリーナ(1986年設立)。 キリンホールディングス株式会社、横浜市、西武鉄道株式会社からの出資の第三セクターとして開業し、面積8,000m2、最大収容人数は1万7,000人で、コンサートやスポーツ、企業式典など、あらゆる用途に利用されている。 略称として「横アリ」という言い方があるが、ほとんどの確率で地元住民は単に「アリーナ」あるいは略さずに「横浜アリーナ」と言うため、この「横アリ」という略称は地元住民に通じない場合が多い。 目次 [非表示] 1 公演・イベント実績 1.1 国内アーティスト 1.2 日本国外アーティスト 1.3 テレビ公開番組 1.4 各種イベント 1.5 葬儀・告別式 2 座席の名称に関する注意点 3 事件・事故など 4 サウンドホール 5 所在地・アクセス 6 外部リンク [編集] 公演・イベント実績 これまで多く利用されているのが、Mr.Children、ゆず、松任谷由実、サザンオールスターズ、米米CLUB、布袋寅泰、浜崎あゆみ、ジャニーズ事務所・ハロー!プロジェクトのアイドルのコンサートなどである。?落としは松任谷由実の公演(KIRIN & MITSUBISHI MIRAGE PRESENTS YUMI MATSUTOYA Delight Slight Light KISS TOUR)であった。当初は美空ひばりのコンサートが横浜アリーナ?落とし公演のはずだったが、本人の病状悪化(後に死去)で中止されたため、松任谷由実が?落としアーティストとなった。 また、海外アーティストのコンサートとしても数多く利用されており、欧米のスーパースターが大規模コンサートを行った。 1996年からスタートした「小学生クラス対抗30人31脚全国大会」の聖地としても知られている。毎年、11月になるとここが小学生達の熱き戦いの場に変わる。ただし、1997年は東京の国立代々木競技場、1998年と2000年は千葉の幕張メッセで、2001年は埼玉のさいたまスーパーアリーナで開催されたが、それ以外の年は全て横浜アリーナで開催されている。 オープンした1989年より、サザンオールスターズの年末カウントダウンライブの恒例会場として使用されて続けている。実施されない年もあったものの、12月31日大晦日は常に、サザンの為に所属事務所のアミューズが会場を確保しているとも言われる(1992年・1998年、2001年、2006年を除き(それぞれ各年の大晦日から翌年の1月1日まで。桑田佳祐ソロを含む)、サザンのカウントダウンライブが行われなかった1995年にはアクト・アゲインスト・エイズのイベントを、2003年〜2004年には同じアミューズ所属の福山雅治がカウントダウンライブを行った)。 成人の日には横浜市の成人式が開催される。その様子は、日本最大の成人式として毎年ローカル局であるtvkで放送されている。 アリーナ本体以外にも、施設のエントランス周辺を使ったフリーマーケットも開催されている。 また、かつて内装工事会社社員として横浜アリーナの建設に携わった第70代WBA世界ミドル級王者竹原慎二の初防衛戦(1996年)を皮切りにプロボクシングの世界タイトルマッチの会場として頻繁に使われるようになる。 [編集] 国内アーティスト 横浜アリーナでコンサートを開催した国内アーティストは、以下の通りである。 aiko BLANKEY JET CITY - 2000年7月8日 7月9日 ラストライブ(この後、フジ・ロック・フェスティバルで最後の出演をし解散) ゆず AIR(車谷浩司) - 2004年1月10日 「tour one」の最終公演 松任谷由実 - ?落としアーティストであり現在も多用している サザンオールスターズ、桑田佳祐 - 上記の年越しライブを含め現在も多用している 稲葉浩志 - 2004年7月21日・7月22日 小田和正 - 1990年10月2日・3日 (オフコース解散後、ソロとして初の全国ツアーの東京公演として) 小室哲哉 米米CLUB 吉川晃司 氷室京介 布袋寅泰 L'Arc?en?Ciel - 1998年9月3日・4日、2004年5月11日・12日 LUNA SEA - 1994年2月12日、1996年7月16日・17日、2000年7月15日・16日 Spiral Life - 1996年3月23日 このライブ以降活動休止(実質解散) シャ乱Q ポルノグラフィティ 浜崎あゆみ BoA - 2004年4月17日・18日、2007年3月31日・4月1日 大塚愛 - 2006年4月22日・23日 「マスカラつけてマスカラ」ツアー ジャニーズ事務所系アイドルグループ - 年間を通じてコンサート会場として多く使用している ハロー!プロジェクト系アイドルグループ -後藤真希、安倍なつみらがこの会場での公演を最後にモーニング娘。を卒業している。 水樹奈々 - 2007年2月12日 声優系の歌手としては初めて Aice5 - 2007年9月20日(Aice5 Final Party Last Aice5(解散ライブ)) ガゼット - 2007年3月11日 インディーズとしては初めて DEEN 渡辺美里 - 1990年から1993年の毎年(12月22日・23日)と1995年(1月21日・22日)にツアーファイナルとして冬に、1991年には春(3月30日)にもフィルムコンサートで使用している Mr.Children - 2002年 桜井和寿の小脳梗塞によって全国ツアーが中止となったが、12月21日に同所で一夜限りの復活ライブが行われ大きな注目を集めた。この他にも多用している。 氷川きよし KOTOKO - 2006年12月1日 レミオロメン Gackt - 2000年7月1日、2001年6月23日、2002年12月24日、2003年7月5日・6日、2004年7月3日・4日 [編集] 日本国外アーティスト 横浜アリーナでコンサートを開催した日本国外のアーティストは、以下の通りである。 赤文字表記は開催予定日。 ジェフ・ベック チャック・ベリー ジョージ・ハリスン イーグルス ローリング・ストーンズ エリック・クラプトン ボン・ジョヴィ エアロスミス キッス スティーヴィー・ワンダー シンディ・ローパー セリーヌ・ディオン ホイットニー・ヒューストン ジャネット・ジャクソン デスティニーズ・チャイルド ビースティ・ボーイズ ボビー・ブラウン ドナ・サマー ケニー・ロジャース グロリア・エステファン カイリー・ミノーグ ポーラ・アブドゥル BEAST FEAST 2001 [編集] テレビ公開番組 横浜アリーナでは以下のテレビ番組の公開も行われている(過去に行われたものも含む)。 夜のヒットスタジオDELUXE (フジテレビ系 1989年5月3日) BANG! BANG! BANG!スペシャル (フジテレビ系 1996年4月) 27時間チャレンジテレビ (テレビ朝日系 1996年11月2〜3日) FNS歌謡祭 (フジテレビ系 1996年、1997年) 小学生クラス対抗30人31脚 (テレビ朝日系) HEY!HEY!HEY!MUSIC AWARDS (フジテレビ系) 1億3000万人が選ぶ!ベストアーティスト (日本テレビ系 2005年〜) など [編集] 各種イベント 第4回東京ガールズコレクション2007 Spring/Summer など [編集] 葬儀・告別式 著名人などの葬儀・告別式が横浜アリーナで行われたこともある。主な例は次の通り。 細郷道一 元横浜市長 坂本堤 弁護士一家 (1995年10月22日) 高秀秀信 前横浜市長 [編集] 座席の名称に関する注意点 横浜アリーナにおける「アリーナ席」とは(2階部分の)可動式スタンド席のことを指し、一般的に言う「アリーナ席」は、この横浜アリーナでは「センター席」と呼んでいるので注意が必要である。 [編集] 事件・事故など 2007年1月に開催されたハロー!プロジェクトのコンサートにおいて、3階スタンド席の最前列の観客が2階のアリーナ部分に転落する事故があった。この事故以降は危険防止のため、3階スタンド席最前列では着席での観賞を呼びかけている。 [編集] サウンドホール 同アリーナの横には150人収容のライブハウス「横浜アリーナサウンドホール」もある。 [編集] 所在地・アクセス 神奈川県横浜市港北区新横浜三丁目10番地 JR横浜線・横浜市営地下鉄新横浜駅下車、徒歩約5分 [編集] 外部リンク 横浜アリーナ 横浜アリーナサウンドホール 横浜スタジアム(よこはまスタジアム)は、日本の神奈川県横浜市中区の横浜公園内にある野球場。日本プロ野球・横浜ベイスターズが本拠地として使用している。 目次 [非表示] 1 概要 2 特徴 2.1 日本初の多目的スタジアム 2.2 建ぺい率の問題 2.3 短所と長所 2.4 名球会入り選手のプレート設置 2.5 売店 2.6 その他 3 球場の歴史 3.1 横浜公園平和野球場 3.2 日本初のナイトゲーム 3.3 平和球場の老朽化 3.4 球場建設へのハードル 3.5 着工へ 3.6 落成 3.7 ロッテ共用問題 3.8 建設後の主な改修 3.8.1 スコアボードの改修 4 過去に起きた新球場建設の動き 4.1 新鶴見操車場跡地の利用 4.2 横浜ドーム構想 5 交通機関 6 脚注 7 関連項目 8 外部リンク [編集] 概要 1978年3月、老朽化した横浜公園平和野球場(よこはまこうえん・へいわやきゅうじょう、通称「平和球場」)の跡地に竣工。同年より、川崎球場から移転した横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)の本拠地となったほか、神奈川大学野球連盟のリーグ戦や、全国高校野球選手権の神奈川大会等、アマチュア野球の会場としても用いられる他に、アメリカンフットボールの会場としてもしばしば利用されている。高校野球夏の大会では、開会式のほか1回戦から使用され、準々決勝以降は保土ヶ谷球場にかわりメインスタジアムとなる(1997年を最後に行われていないが、横浜スタジアムでの横浜−横浜商戦の時のみ、横浜商のスコアボードの校名表記は「Y」となる)。 施設は横浜市が所有し、市などの出資による第三セクター・株式会社横浜スタジアムが運営管理を行っている。どんぶりを傾けたような外観と、横浜のイニシャル“Y”を模した、逆三角形の6基の照明塔が印象的。2003年から新型人工芝「フィールド・ターフ」を、日本の屋外球場では初めて[1]採用した。 よく使用される通称は「ハマスタ」であるが、地元では「スタジアム」あるいは「ヨコスタ」と呼ぶ場合が多い。「ヨコスタ」については、湘南シーレックス(ベイスターズの2軍)の本拠地である横須賀スタジアムと重複する可能性がある(もっとも、同球場は「スカスタ」と言われることがほとんどであるが)ため、この呼び方を好まない人もいる。 [編集] 特徴 株式会社横浜スタジアム Yokohama Stadium Co., Ltd. 種類 株式会社 市場情報 非上場 本社所在地 231-0022 神奈川県横浜市中区横浜公園 電話番号 045-661-1251 設立 1977年(昭和52年)2月 業種 サービス業 事業内容 プロ野球興行 催し物開催のための施設の運営及び賃貸 物品の賃貸 広告及び放映放送契約 場内売店等の経営 入場券、キャラクターグッズ等の販売 代表者 鶴岡 博(代表取締役社長) 資本金 34億8,000万円 売上高 連結:36億5,161万8千円 単独:36億1,054万5千円 (2007年1月期) 総資産 連結:145億6,572万8千円 単独:141億9,136万7千円 (2007年1月期) 従業員数 連結:47名 単独:41人 (2007年1月31日現在) 決算期 1月31日 主要株主 (株)テレビ朝日 5.74% (株)横浜ベイスターズ 5.74% (株)東京放送 5.74% (株)フジテレビジョン 5.74% 横浜市 5.74% 主要子会社 横浜球場商事(株) 100% スタジアム・エンタープライズ(株) 100% 外部リンク www.yokohama-stadium.co.jp 横浜スタジアム・公式戦の様子 横浜公園の中にある横浜スタジアム ベイスターズファンで盛り上がるライトスタンドの様子 一塁側内野席より [編集] 日本初の多目的スタジアム 内野スタンドの前段は可動式。野球場としての使用時にはVの字になってるが、一、三塁側前列を移動させて平行にすることができる。この可動式スタンドや昇降式マウンドは、いずれもプロ野球以外の興行に使用する事を前提に設置された。このため、横浜スタジアムは日本で初めて設計段階から多目的スタジアムとして造られた建築物といってよく、その後のドーム球場を含めたプロ用野球場の設計に与えた影響は少なくない。また、プロ用野球場としては日本で初めて建設時から全面人工芝グラウンドを採用している。 横浜スタジアム建設前の横浜市内には大型の競技場やコンサートホールなどがなく、スポーツや興行の分野では魅力の薄い街であったが、スタジアムの完成がこれらの分野の発展にも大いに寄与した。長年にわたり横浜国際女子駅伝の発着会場となった[2]ほか、Jリーグ草創期にはグラウンドに天然芝のマットを敷いてプレシーズンマッチを行ったこともある。 また、コンサート会場としても数多く利用され、国内外の多数の有名アーティストが過去に大規模コンサートを行なってきた。しかし屋根がない横浜スタジアムは、天候によってイベント開催の可否が左右されやすく近隣への騒音問題もあり、また3万人収容という施設に応じた集客が難しいことから、横浜アリーナや横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)が完成した1990年代以降、野球以外でスタンドが満員になるような大きなイベントにはそれ以前ほど使用されなくなっている。だが、TUBEは20年以上にもわたり毎年8月で横浜スタジアムでコンサートを実施しており、夏の風物詩となっている。また、近年では毎年夏頃に1回程度、国内の有名アーティスト1組が野外コンサートを開催している。 [編集] 建ぺい率の問題 建物の立体的な外観は、他の野球場に見られるような垂直的なそれではなく、スタンドの上辺が広く下辺が狭い逆円錐形をしている。これは都市公園法施行令第6条1項1号で定められている、都市公園内運動施設の建ぺい率規制によるもので、スタンドの下辺をもって建ぺい率を計算する[3]ためのいわば苦肉の策である。兎にも角にも面積上の問題をクリアするためにかなり無理のある設計を行っている。また、近年に建設されたいわゆる「国際規格」の野球場に比べ、収容観客数の少なさやグラウンド面積の狭さが指摘されて久しいが、法規上の限界[4]の中で設計されていることから、スタンドの増築を伴う観客席増設や、スタンドの構造変更を伴うグラウンド面積の拡張なども、法令の改正がなされない限り事実上不可能であるといわれている。 また、これも設計限界によるものだが、ダッグアウト裏やグラウンド内に場所が確保できなかったため、ブルペンは外野スタンドの下に存在する。従って、横浜スタジアムの外野フェンスは高さがドーム球場並みに5mもあり、グラウンド内でバウンドした打球がフェンスを越えてエンタイトルツーベースに至ることはほとんどあり得ず、フェンスによじ登ってのフライ捕球もまず不可能である。ちなみに、ブルペンは目隠し用のテントと侵入防止用の鉄柵を隔てただけで横浜公園に面しているので、球場外からリリーフ投手の掛け声やブルペン捕手の捕球音を聞く事が出来る。 また、フェンスが高いためホームランの出にくい球場ではあるが、外野スタンドが狭いため、パワーヒッターであれば場外ホームランを打つ事も可能である[5]。 ダッグアウトとブルペンの間は連絡路がなく隔絶されているため、プロ・アマ問わずリリーフ投手は試合前からブルペンで待機するか、試合中の攻守交替時にグラウンドを歩いてブルペンに向かわなければならない。また、ブルペンからマウンドまでが遠いので、プロの試合における投手交代時は通常、リリーフカーを使用する。球場誕生時は日産自動車のブルーバード910型のオープンカーを使い、その後は同社のBe-1やエスカルゴを経て、現在のリリーフカーはトヨタ自動車のスポーツカー・MR-Sを改造したものを使用している。 [編集] 短所と長所 上記で述べた通り、法規制クリアのため設計上の無理が少なからずあり、以下のようなしわ寄せが来ている。観客の立場から見て不都合な点も多く、必ずしも快適に観戦できる球場とは言い難い。 両翼ポール際付近はスタンドのどの位置からも死角になりやすく、例えば一塁側内野席やライト側外野席に座ると、ライト線に打球が行った場合フェアかファウルかが判りづらい。またフェアであっても外野手の打球処理が見えない。ただし、この種の不具合はその後建設されたドーム球場でも似たような傾向が見られる。 外野スタンドは傾斜が急なのに加えて、スコアボードが最後列よりも大分前に設置されているため、見づらい所や全く見えない所が存在する(バックネット上段に一応サブスコアボードは存在するが、これに表示されるのは得点経過とSBOカウントだけであり、打順表、球速表示、動画スクリーン等は見ることができない)。 2007年に改修されたベイブルーシートエリアを除くと、内外野とも前後の座席間隔が狭いため試合中の離席が困難。 コンコースが狭いため売店やトイレが少なく、試合終了時に通路やゲートがとても混雑する。また、スタジアムが全席禁煙化されてからは、コンコース内やスタジアム外周に張り出して設置された喫煙場所を利用する喫煙者で、コンコース中が混雑している。 オープン当初はスコアボード後方の通路で左右の外野スタンドを連絡していたが、トラブル防止のために通路は閉鎖され、完全に分断されたため、ライト側観客席からレフト側観客席、あるいはその逆の移動はできない。 しかしその一方で、以下の点は他球場と比較して有利とされる。 ファウルゾーンが狭く内野スタンドのネットも撤去された事から、観客とプレーする選手との距離が近く感じられ、臨場感が大きい。また試合の前後に、内野スタンドから直に選手と握手したりサインを求めたりする事ができる[6]。 鉄道路線が三つ(横浜市営地下鉄・みなとみらい線・JR根岸線)も通り、いずれも球場から徒歩5分以内の所に駅があるため、都心や横浜市内からのアクセスがよく、延長戦でも比較的安心して観戦できる。 球場周辺に、横浜中華街や山下公園など試合の前後に立ち寄れるような観光スポットが多くある。 球場周辺に、ナイター終了後も営業している飲食店が多くある。 [編集] 名球会入り選手のプレート設置 2006年からは、名球会入りしたホエールズ、ベイスターズの選手の名前を入れたボール模様のプレートをライト外野スタンドに設置し、その功績を称えている。配置は右中間からライトポール際に向かって、以下の通り。 「1980.4.23 2000HITS 松原誠」(最終記録2095安打) 「1983.10.21 200WINS 平松政次」(最終記録201勝) 「2000.9.6 2000HITS 駒田徳広」(最終記録2006安打) 「2005.4.14 250SAVES 佐々木主浩」(最終記録381セーブ…日本252セーブ、アメリカ129セーブ) 「2006.5.11 2000HITS 石井琢朗」 [編集] 売店 売店は内野スタンド2階通路と外野スタンド1階に設置されている。高校野球の時は外野席の売店は営業しない(内野席が満席の場合、外野席が開放される。この時内野席から外野席へは移動できるが外野席から内野席への移動はできない)。内野スタンド一塁側にはマクドナルドが、三塁側にはケンタッキーフライドチキンがある。一時期ミスタードーナツもあったが今は撤退。場内で販売されている牛丼は以前は吉野家だったが2001年頃からはなか卯となっている。 また、スタジアム内で売られている「みかん氷」が名物となっている。かき氷の上に缶詰のみかんが乗り、その上に缶詰みかんのシロップをかけたもので、一杯300円。大久保博元も推薦している。特に真夏のデーゲームで行われる高校野球神奈川大会の時には、購入までに長時間待たされることもある。但し、1,3塁側の内野売店(2004年までは3塁側のみ)での販売。2007年からは1塁側のみだが、みかんの代わりに缶詰パイナップルとシロップを使った「パイナップル氷」が発売された。一杯350円。一部のソフトドリンク(ブリックパック)・お菓子は球場内でもプレミアムなしの市価で購入できる。 崎陽軒のシウマイ弁当の掛紙は横浜スタジアムオリジナルの物が使われている。 内野席中程の3階には2005年に既存のレストランを改修した「カフェ・ビクトリーコート」が有り、店内にはベイスターズ(ホエールズ)の歴代のユニフォームや優勝ペナント等が飾られている。 [編集] その他 上記のような球場の特色は、観客の応援スタイルにも影響を及ぼしている。ジェット風船を使った応援は、横浜市のポイ捨て禁止条例抵触と試合進行妨害、近隣を走る根岸線への影響(架線に風船が付き列車がストップする恐れがある)を理由に禁止している。また、東京ヤクルトスワローズ応援団による「ビニール傘応援」は、座席間隔が狭いため危険として一時期禁止されていた。 バックスクリーンが肌色と相対色である青であるため、投手のリリースポイントが見やすい。そのため当球場での試合は乱打線になる傾向がある。 横浜の選手に本塁打が出ると"Good-bye Baseball!"のアナウンスと共に汽笛が鳴り響く。 かつてグラウンドにカラスや猫が入り込んで試合が中断したことがある。また、雨が降ったときに外野グラウンドに蛙が入り込んできたこともあった。 [編集] 球場の歴史 [編集] 横浜公園平和野球場 現在の横浜スタジアムになる前、ここには横浜公園平和野球場があった。前身は1874年に完成した「彼我公園(ひがこうえん)」。在日外国人のクリケットグラウンドとして整備され、1896年には地元外国人チームと旧制第一高校との国際野球試合が開催された。 その後、1929年に関東大震災復興記念事業の一環としてこれを硬式野球場「横浜公園球場」として整備、1934年にはルー・ゲーリッグやベーブ・ルースらを擁するアメリカ大リーグ選抜軍と、沢村栄治や苅田久徳らを擁する日本代表チームとの間で親善試合も開かれた。第二次世界大戦(太平洋戦争)が激化した1942年9月には野球場としての使用が停止され、スタンドは「東京捕虜収容所第3分所」となり、日本軍が占領地で捕虜にした連合軍兵士を収容した。同収容所は1944年5月に閉鎖されるが、1945年8月に日本が敗戦、9月に球場は連合軍に接収される。 ただし、同じく横浜市内の競技施設で接収された横濱競馬場は本来とは違う使用目的(住宅施設等)に供されたが、横浜公園球場は接収下でも野球場として利用され、名前もゲーリッグがここでプレーした事にちなんで「ルー・ゲーリック[7]・スタジアム」と改称された。そして1948年には日本初のプロ野球ナイトゲームが開催される(下記参照)。 1952年に連合軍の接収解除に伴い横浜市に返還され、1955年に「横浜公園平和野球場」と再度改称される。しかし、市民の間には正式名称よりも略称である「平和球場」という呼び方のほうが定着した。本稿でも以下は平和球場の略称を用いる。 [編集] 日本初のナイトゲーム 1948年8月17日、当時の「ルー・ゲーリック・スタジアム」で、日本初の職業野球公式戦のナイトゲーム開催が実施された。対戦カードは読売ジャイアンツ−中日ドラゴンズ戦で、3-2で中日が記念すべき日本のナイトゲーム初勝利を飾った。試合開始は20時過ぎだった。この8月17日は現在でも「プロ野球ナイター記念日」とされている。 [編集] 平和球場の老朽化 建設中の横浜スタジアム。横浜公園内には解体前の県立武道館・米軍チャペルセンター・野外音楽堂がまだ存在している(1977年撮影)。国土画像情報(カラー空中写真)(国土交通省)を元に作成。返還された平和球場はプロ野球の試合こそほとんど行われなかったものの、高校野球神奈川大会や社会人野球などアマチュア野球の会場として大いに活躍した。しかし、築40年を超えて建物の老朽化は深刻になり、1970年には、躯体のコンクリートが酸化して観客の重量を支えきれなくなったという理由から、スタンドの上半分が閉鎖された。これによってもともと15,000人程度であった観客収容数が半減してアマチュア野球の大会にも使用できなくなり[8]、野球好きの市民の間に建て替えとプロ球団誘致を求める署名活動などが行われるようになった。 一方、この頃の大洋球団は、巨人戦以外は全く集客の伸びない川崎球場に限界を感じており、同じ県内でもより知名度が高く人口も多い横浜へ本拠地を移転する構想を持っていた。しかし、老朽化し倒壊の危険性があり10,000人の収容すら出来なくなった平和球場は、ドル箱の巨人戦を含むセ・リーグの公式戦やオールスターゲーム、また万が一優勝したとしても日本シリーズを開催するのは不可能な状況であった。そこで大洋球団は1972年11月22日、横浜市に対し「横浜平和球場が改築した折には、本拠地を川崎から移転したい」と申し入れを行い、当時横浜市長だった飛鳥田一雄の同意を得て覚書を取り交わした。 [編集] 球場建設へのハードル 飛鳥田市長は、大洋の移転意思もあって球場建設にはやぶさかでなかったが、日本経済は折からの第一次オイルショックにより停滞。当然横浜市の財政もよいわけがなく、市が単独で建設の予算を捻出することなど到底不可能な状況だった。また、当時はみなとみらい21地区の造成も構想段階であった上、市内にはまだ随所に返還の目処が立たない米軍接収地が点在していたため、横浜公園以外で同等の交通アクセスを確保できるような土地はなかった。従って、球場の建設イコール平和球場の建て替え、という図式へ必然的に流れていったが、平和球場を解体してプロ野球も開催可能な規模の球場を建設するには、公園内建築物の建ぺい率制限や、所管官庁である建設省との折衝、さらに神奈川県立武道館等、球場建設によって移転を迫られる横浜公園内施設の代替地問題など、資金面以外にもさまざまなハードルがあった。中でも、横浜公園内の米軍横浜チャペルセンターの立ち退きに際しては、日本政府のほかに米軍当局との調整も必要であった。 [編集] 着工へ しかし、当時大洋ホエールズの株を多数保有していた国土計画(現プリンスホテル)総帥・堤義明が3億円の融資を表明すると、建て替えの機運は急加速をはじめる。やがて飛鳥田市長らの奔走により資金以外の問題は順次クリアされ、堤による支援のほか市民からの株主も募り、1977年ついに第三セクター法人の運営会社「株式会社横浜スタジアム」が設立される。そして1977年4月1日、市の建替え計画に対し大蔵省の許可が下り、球場の建設が開始された。 通常、この規模の建築物であれば2年前後の工期がかかるが、横浜スタジアムは翌年のプロ野球開幕に間に合わせるため、平和球場の解体を含めて1年程度の非常に短い工期が組まれることとなる。このため着工当初は7社程度のゼネコンによる共同企業体であったが、工期の関係上最終的には11社に及ぶゼネコンが結集し、超突貫体制で建築作業が行われた。法律上、公有地に企業が運営する施設を設置することができないため、建設は横浜スタジアム社が行った上で、一旦横浜市に施設を無償譲渡する形を執り、運営を横浜スタジアム社が行うという形が取られた。なお平和球場解体の際、スコアボードは藤沢市八部野球場に移設され、その後10年ほど使われていた。 この間、大洋球団は6月15日、横浜移転を前提として検討を進めている旨を発表。そして8月20日、翌1978年から横浜スタジアムを専用球場とすることを川崎市に正式に通達した。しかし、大洋側がそれまで川崎市側に対して配慮を行わず、突然一方的に移転を伝えられたことで川崎市は激怒。市内の19団体が「エントツだけのまちにしないで。」とキャッチフレーズを銘打って移転反対を唱えるキャンペーンを行い、当時の市の人口の約半分に当たる54万人分の署名を集めるなど、一時猛反発を呼ぶ事態となった。 [編集] 落成 幸い工事は無事に工期どおり終了し、1978年3月、晴れて横浜スタジアムは完成。同年4月4日に?落としとなる横浜大洋ホエールズ(移転により改称)−読売ジャイアンツの公式第1回戦が行われ、前年新人王の斉藤明雄の力投により地元大洋が4-1で勝利して花を添えた。この試合の始球式は、前市長として建設に尽力した飛鳥田一雄(この時の地位は日本社会党委員長)が行っている。 [編集] ロッテ共用問題 横浜スタジアムの着工が正式に決定した頃、ロッテオリオンズは大洋球団に対し、「横浜スタジアムをロッテも本拠地として共用し、年間40試合前後の公式戦を開催したい」と申し入れを行った。 1972年に本拠地の東京スタジアムを失ったロッテは、この頃は宮城県仙台市の県営宮城球場を一応の専用球場としていたが、東北新幹線は未開通、航空機も今ほど気軽に利用できる交通手段ではなかった時代であり、6球団中4球団が西日本に本拠を置いていた当時のパ・リーグで、カード毎の長距離移動はロッテ球団・相手球団ともに選手の肉体面や経費の面で負担が非常に大きかった(いわゆるジプシー・ロッテ問題)。それゆえ、世間では首都圏に球場が確保できればいずれロッテは仙台を捨ててそこへ戻るだろうと考えられており、事実、横浜スタジアムの建設はロッテ球団にとって願ってもない好都合な出来事であった。 しかし、横浜スタジアムの単独使用を既定路線として進めていた大洋は、共用によって日程上の制約を受ける事を嫌いロッテの申し入れを拒否した。このとき大洋は既に川崎市に対し正式な移転通告をしていたため、プロ球団がもたらす経済効果を得たい横浜市と、それを喪失したくない川崎市、全国2位の人口を誇る大都市横浜で集客を伸ばしたい大洋球団とロッテ球団、以上4者の思惑が交錯し、マスコミ等世間も注目する中[9]で竣工間近まで調整が続いた。 だが、横浜スタジアムの使用優先順位については、もともと神奈川県を保護地域としていた大洋に一日の長があり、また当時のロッテの選手や首脳陣が人工芝球場を好んでいなかったともいわれ、結局当初の予定通り横浜スタジアムは大洋の専用となり、ロッテは川崎球場に落ち着くこととなった。 本拠地問題が収束した後も、大洋が横浜移転発表前後に配慮を行わず紛糾を呼んだ経緯などから、川崎市と大洋球団は半ば絶縁状態となり、大洋(横浜)球団の川崎球場での公式戦開催は横浜移転後の1978年から1992年までなかった。1993年には16年ぶりに阪神タイガース戦が1試合のみ日程が組まれたものの雨天中止となり、結局同球場のスタンドが取り壊される2000年まで、ついに一試合も行われることはなかった[10]。 [編集] 建設後の主な改修 デーゲーム・スコアボード ナイトゲーム・スコアボード ライトスタンド側・照明塔横浜スタジアムは、完成後現在に至るまでの間に幾度も改装を受けている。 1978年 シーズン途中、ダッグアウト前にフェンスを設置 1989年 スコアボード大規模改修。選手名・得点表示部は、選手名・回数ごとに分割して表示部が設けられていたが、全面連結表示になり、光源も白熱球からLED(発光ダイオード)となった。また、映像表示部は動画も橙単色で写していたが、フルカラー式のものに改められた 1998年 内野人工芝張替え 1999年 スコアボード改修(東芝ライテック製:スーパーカラービジョン)。選手名・得点表示部分を橙単色LEDから3色(赤・緑・橙)LEDに変更。映像表示部も解像度の高い画面に交換。外野席をベンチシートから背もたれ付コンパートメントシートに換装。全席禁煙化。また、開場以来のメインスポンサーであった日産自動車が経営不振により撤退し、トヨタ自動車が日産に替わってその座に着いた。その影響で、スコアボード上端の広告が日産の「LIFE TOGETHER」からトヨタの「クルマが未来になっていく。」に改められている。2007年現在では「Drive Your Dreams.」 2001年 外野人工芝張替え。リリーフカーも10年ぶりに代わり、開場以来の日産車(最後は日産・エスカルゴの改造車)からトヨタMR-Sの改造車に変更。 2003年 内外野人工芝を、アメリカのメジャーリーグやサッカーの競技場の天然芝球場風の着色が施され、限りなく天然芝に近い感触とされる「フィールド・ターフ」に張替え、国内で野外の野球場では千葉マリンスタジアムと同時に初めて導入した。 2004年 球場内ミニFM放送「FMハマスタ」用の放送ブースを、バックネット裏最上段に設置。 2005年 内野スタンドから、バックネット以外のフェンスを撤去。また、開設時からライトスタンド中段に設置されたエレクトーンブースも撤去。このブースはスタジアム名物だったものの、マルハからTBSにベイスターズの筆頭株主が交代した2002年から使用されなくなっていた(これによりライトスタンドの席数が若干増えた)。そのほか、レストランやトイレ等、コンコース内の施設を改修した。 2006年 外野フェンスラバークッションの高さをフェンス上端までかさ上げし、クッション厚も変更。ブルペンのマウンド数を一塁側・三塁側とも2箇所から3箇所へ増設。バックネットに広告表示用のLED画面(ファンケル化粧品協賛の広告を掲示)を設置 2007年 バックネット裏(9・11・13・15・17ゲート周辺、可動席部分を除く)の座席を従来のオレンジ色のシートからベイスターズのチームカラーでもあるブルーのシートに変更。シートも跳ね上げ式になり、座席幅・間隔も10cm近く拡張される。その分座席数は2,000ほど削減されることになった。削減分は内野席最上段に立ち見スペースを設けることで、30,000人の収容能力を維持している。また、従来はスコアボード下のみにあったスピーカー設備を内野照明灯(4カ所8個)下にも設置した。 [編集] スコアボードの改修 スコアボードは白熱球を使用していた時代(1988年まで)は1回-延長10回までのスコアを表示し、11回からは改めて表示をクリアして1回のところから表示し直す方式だった。 1989年の改修で橙単色LEDが使用された時代は延長戦の場合はそれが行われるイニング分左にスライドしていく形(例えば延長10回が行われる場合、1回のスコアが消去され2回〜10回のスコアが表示される)だった。 1999年の改修でカラー化されてからは再び10回まで表示され、11回以後は改めて表示をクリアし、対戦チームの横に10回までのスコア、そしてその右隣に11回〜18回のスコアを表示できるようにしている。 [編集] 過去に起きた新球場建設の動き 近年は横浜スタジアムに替わる新球場建設の動きも見られた。 [編集] 新鶴見操車場跡地の利用 1990年代の初めには近郊の新鶴見操車場跡に新球場を建設することを目指し入札手続の準備を進めたが、入札に参加しなかったためそれが頓挫したこともあったといわれている。 [編集] 横浜ドーム構想 1997年にベイスターズが優勝争いをすると、にわかに集うようになったファンから横浜スタジアムの収容観客数の少なさや施設の狭さに対する不満が続出した。これに乗じた高秀秀信横浜市長(当時)は、みなとみらい21地区に新球場(多目的ドームを想定)建設を提案し[11]、横浜商工会議所等の地元経済団体も呼応する動きが見られた。 しかし当初から、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)等の経営失敗例が生じたことや、横浜アリーナなどの既存施設と完成後の使用目的が一部競合することなどから、ベイスターズファンであるなしを問わず、多くの横浜市民が多目的ドームの必要性・採算性に疑問を持っていた。それに加え、2000年代に入るとベイスターズの成績がふたたび低迷し観客数も減少。さらに2002年、主唱者であった高秀が市長選に敗れて退陣し(その直後に死去)、新市長に就任した中田宏によって横浜市が不要不急な公共事業を凍結する政策に転換した[12] こともあり、新球場構想はたちまち頓挫した。 余談であるが、2001年から2002年にかけて加熱していた「横浜ドーム構想」で、熱狂的ベイスターズファンが試合中、ライトスタンドから「ハマドーム、イラン」や「横浜ドームはいらない」と書かれた横断幕を掲げたり、ベイスターズの公式戦が行われる日に横浜公園内で「横浜ドームを実現する会」という団体が連日署名運動を行っていた。実現する会には、かつてベイスターズ(大洋ホエールズ)に所属していた選手も多数署名したという。2002年には「TBSがプロデュース、横浜ドーム」という記事がスポーツ新聞のトップに出た。そこには、横浜ドームは世界の何処のドームを参考に建設されれば良いかなどの比較写真なども掲載されていた。この記事には、反対派からの抗議もあったほか、以前から続いていた「実現する会」のホームページに設置されていた掲示板の荒らしが一層酷くなるなどの被害があった。ちなみに現在は、実現する会のホームページは無くなっており、むしろ横浜ドーム建設構想があったことすらも感じさせない風潮である。 その後、高秀の構想によって新球場建設予定地と目されていた西区高島1丁目の広大な空き地は、日産自動車との定期借地によりJリーグ・横浜F・マリノスの練習場・クラブハウス(マリノスタウン)、ならびに横浜市の横浜みなとみらいスポーツパーク(管理・運営は(財)横浜市スポーツ振興事業団)となった。ちなみに、横浜高速鉄道みなとみらい21線の新高島駅構内の柱や改札口などに「マリノスタウン」と書かれている。 [編集] 交通機関 JR根岸線・横浜市営地下鉄 関内駅 南口より徒歩3分 横浜高速鉄道みなとみらい線 日本大通り駅 横浜スタジアム口より徒歩3分 横浜市営地下鉄ブルーライン 関内駅 1番出入口より徒歩5分 横浜市営バス 横浜スタジアム前・市庁前・内駅北口・尾上町・羽衣町停留所 [編集] 脚注 ^ ドームも含めた野球場での初採用例は、2002年の東京ドーム。屋外球場では横浜スタジアムと同時に千葉マリンスタジアムも採用。 ^ 現在の発着場所は横浜赤レンガ倉庫。 ^ スタンドのいわゆる「軒下」にあたる部分やグラウンドは、法令上の「建築物」とは見做されず、建ぺい率の計算対象から除外される。 ^ 建ぺい率10%以下でなくてはならない。 ^ 実際に、何人かの選手が過去にしばしば場外ホームランを放っており、その中には投手のバルビーノ・ガルベスも名を連ねている。また、松井秀喜やタイロン・ウッズは、一人で複数回打っている。 ^ ただし、ビジターチームの選手は横浜ファンに配慮してあまりスタンドに近づかず、内野席からのサインの要求にも応じない傾向にあるが、最近は横浜ファンが一塁側に集まるようになったため、オープン戦や平日の試合などではサインを求めたりすることができる場合もある。 ^ 当時の日本では「ゲーリック」と発音していた。 ^ このため、高校野球神奈川大会の開会式、閉会式、決勝戦を保土ヶ谷球場で行うようになった。 ^ 一部では両球団の合併報道や、横浜スタジアムに国土計画が出資していたことから「西武が大洋を買収」という報道もあった。 ^ 但し、オープン戦は1994年と2000年に開催されている。1995年にもオープン戦の日程が組まれたが、雨天中止となった。 ^ 高秀は1998年の市長選で、ベイスターズの優勝を条件にドーム球場建設を公約している。 ^ 中田市長はラジオ番組に出演した際「横浜ドームは不要。横浜スタジアムの可動式スタンドを使えなくしてでも天然芝にするか、東京ドームで今年(2002年)から導入されたフィールドターフを導入すればよい」と発言していた。 [編集] 関連項目 日本の野球場一覧 ニッサングリーンカップ・全国草野球大会(全国決勝戦が当球場で行われ、草野球の甲子園といわれた) 全日本少年軟式野球大会 社稷野球場(横浜スタジアムをモデルとして造られた韓国・釜山広域市にある野球場) [編集] 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、横浜スタジアムに関連するマルチメディアがあります。横浜スタジアム 前本拠地: 川崎球場 1955 - 1977 横浜ベイスターズの本拠地 1978 - 現在 次本拠地: n/a - カテゴリ: 中区 (横浜市) | 関東地方の野球場 | プロ野球本拠地野球場 | 日本のアメリカンフットボール競技施設 | 神奈川県のスポーツ施設 | スポーツ関連企業 | 日本のサービス業 | 神奈川県の企業 | 横浜ベイスターズ 横浜市営バス(よこはましえいバス)は、横浜市交通局が運行する路線バスであり、横浜市内中心部を中心に路線を伸ばしている。 目次 [非表示] 1 概要 2 運賃 3 沿革 4 営業所 4.1 廃止された営業所・派出所 5 特殊な路線 5.1 定期観光バス(市内遊覧バス「ベイサイドライン」) 5.2 みなとみらい100円バス 5.3 観光スポット周遊バス「あかいくつ」 6 臨時営業路線 6.1 37系統 6.2 49系統 6.3 花月園競輪場シャトルバス 7 車両 7.1 車両メーカー概要 7.2 低公害車両 7.3 バリアフリー対策 7.4 カラーリング 7.5 車両番号 8 一般車両を使ったバスツアー 9 市営バス限定の企画乗車券 10 脚注 11 関連項目 12 外部リンク [編集] 概要 横浜市営バスの営業エリアは広く、北はあざみ野駅、東は川崎市の川崎駅西口・大黒海づり公園・安善町、西は亀甲山・東戸塚駅、南は金沢区総合庁舎と、市内の5割程度をカバーしている。緑区、港北区、鶴見区、旭区、などでは民営バスとほぼエリア分けができているが、中心部、特に横浜駅においては京浜急行バス(横浜京急バス)、神奈川中央交通(横浜神奈交バス)、相模鉄道、江ノ島電鉄など実に多くの会社が乗り入れている。 なお、路線廃止や移譲の影響などにより、泉区・栄区の全域や戸塚区・瀬谷区・青葉区・金沢区の多くの部分において横浜市営バスが走らない大きな空白地帯ができた。(これらの地域には、主に京浜急行バス、横浜京急バス、神奈川中央交通、横浜神奈交バス、相模鉄道、江ノ島電鉄、東急バスが運行されている)。 経営的には2003年度は黒字を確保したものの、横浜市交通局は地下鉄事業の赤字やモータリゼーションの進行もあり、依然厳しい状況が続いている。最近では横浜市営交通あり方検討委員会を開き、不採算路線や民間競合路線の移譲(当初は1・3〜5・23・88・94・107・115・116・118・304系統が対象だったが、2006年新たに40・62・136系統が追加された。)など、収入確保やコストダウンに意欲的であると同時に、小型バス路線の開設(2006年度は本牧満坂線及び東本郷線を開設予定:東本郷地区に関しては、2007年3月26日より221系統として運行を開始。本牧満坂地区は、2007年10月29日より222系統として運行を開始。)などきめ細やかなバスサービスを実施し、新たな需要確保に邁進している。また、市の中心部を中心に広告パネル付きバス停留所上屋の整備を進めるなど、収入の増加に向けての努力の姿勢が見られるが、助役による約5,000万円の横領事件や、勤務乗車証の私的使用、学歴詐称などが発覚しており、職員のモラル向上が課題となっている。 この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。 このような状況から、2006年2月20日に一部不採算路線からの撤退のため神奈川県生活交通確保対策地域協議会に計35区間(関連系統は計39系統)の退出意向を提出した。また、8月31日には追加して計49区間(計67系統)の退出意向が提出された。これらは地域住民に与える影響が大きいため、その後に地域での説明会などが開催されたが、反発は非常に強いものとなっている。また、横浜市道路局が「横浜市生活交通バス路線維持制度」として一部の廃止予定の路線については補助を行う形で民間に譲渡し運行を行わせる方針を10月16日に発表し、翌11月6日から運行事業者を募集した。但し、運行を実施できる事業者が現れない路線については2007年度は暫定的に横浜市交通局が運行する。そして12月には58路線の再編の方針が示され、2007年3月中旬から4月1日にかけて大規模な路線再編が実施された。この路線再編の詳細については交通局のサイトを参照されたい。[1]なお、同年2月に発表された平成19年度の予算案では、同年度末に横浜交通開発に磯子営業所の2路線を譲渡し、同営業所の残りの路線と緑営業所の路線について管理の委託を行うこととなっている。[2] [編集] 運賃 ほとんどの系統が大人210円・小児110円の均一料金であり、一部系統のみ区間料金制を採用している。なお、乗降方式はいずれも前乗り・中降りであり、区間料金制の系統に乗車する際は乗車時に乗務員に対して行き先を告げる必要がある(停留所に運賃表と乗車方法が掲出されている)。なお、109系統については横浜ベイブリッジを渡る場合に割増料金として大人20円・小児10円が料金に加算される(首都高速湾岸線を通行するため)。また、深夜バス料金は通常料金の2倍であり、定期券や一日乗車券でも乗車可能であるが、これらの乗車券を使用する場合は、通常料金と深夜料金の差額を支払う必要がある。 [編集] 沿革 1928年(昭和3年)11月10日 - 横浜市営バス営業開始。 1933年(昭和8年)2月1日 - 貸切バス営業開始。 1935年(昭和10年)12月23日 - 市内遊覧バス営業開始。 1959年(昭和34年)7月16日 - トロリーバス運行開始。 1966年(昭和41年)11月1日 - 横浜市交通局再建計画がスタート。内容は主に横浜市電の廃止。 1972年(昭和47年)3月31日 - 横浜市電及びトロリーバスを全廃。 1992年(平成4年)3月 - 市営バス・地下鉄共通カード「マリンカード」発売開始。 1994年(平成6年)10月1日 - バス共通カード発売開始。 1998年(平成10年)11月27日 - 今後の市営バス事業のあり方検討委員会設置。 1999年(平成11年)12月9日 - 今後の市営バス事業のあり方検討委員会が答申を行う。 2006年(平成18年)3月27日 - 野庭営業所廃止。 2007年(平成19年)3月18日 - 浅間町営業所でPASMOを導入。 2007年(平成19年)4月1日 - 路線再編対象32路線にて再編施行。港北ニュータウン営業所廃止。 2008年(平成20年)度 - 全営業所でPASMO導入予定。 1928年に急拡大した市域の足を確保する目的で横浜市営バスが誕生したが、これ以前にも市内には既に横浜自動車や相武自動車、東京横浜電鉄、鶴見臨港鉄道などが事業を始めていた。間もなく鶴見区潮田地区で運行していた鶴見自動車商会を買収したが、民営会社の買収はこの1件にとどまり、他都市のような市当局による統合は行われなかった。これは当時自動車行政を監督していた神奈川県が市営バスよりも民営バスの育成に注力していたことと、戦時統制の進行過程において周囲の事業者のほとんどが東京急行電鉄の支配下に置かれ、整理・統合されてしまったことによる。このことが、現在でもかなりの線区で民営バス路線と競合していることにつながっている。 横浜市営バスでは、市営地下鉄と共に2007年3月18日に首都圏の私鉄や地下鉄およびJRの在来各線で利用できるPASMOを導入している。市営バスでは当初鉄道駅との接続が多い路線を多数持つ浅間町営業所に導入し、その後翌2008年(平成20年)度までにすべての営業所でPASMOが利用できるようになる予定で、導入予定は次のようになっている。 2007年度 - 浅間町営業所に加え、保土ヶ谷営業所、滝頭営業所、本牧営業所、港北営業所、鶴見営業所に導入予定。 2008年度 - 緑営業所、若葉台営業所、港南営業所、磯子営業所に導入予定。 基本的には、市内中心部を運行する路線を持つ営業所へ優先的に導入し、郊外の住宅地や子会社化の予定されている営業所では最終まで導入されないという格好となる。また、全ての営業所に導入されるまでは、一部の系統で導入済みの営業所の車両と未導入の営業所の車両が混在するため、PASMOを利用する際には注意が必要である。 [編集] 営業所 横浜市営バスでは、以下の営業所体制で営業している。 磯子営業所(横浜市磯子区森三丁目1-19) 所管系統:8系統、10系統、58系統、61系統、63系統、64系統、70系統、85系統、94系統、99系統、113系統、117系統、215系統、293系統、294系統 港南営業所(横浜市港南区日野南三丁目1-1) 所管系統:2系統、45系統、51系統、52系統、107系統、111系統、112系統、130系統、351系統(51系統深夜バス)、367系統(107系統深夜バス) 港北営業所(横浜市港北区大豆戸町字塚田581) 所管系統:14系統、38系統、41系統、67系統、88系統、104系統、129系統、300系統、301系統、302系統、304系統、308系統、355系統(41系統深夜バス)、356系統(同)、370系統(301系統深夜バス) 浅間町営業所(横浜市西区浅間町四丁目340-1) 所管系統:26系統、31系統、34系統、35系統、36系統、44系統、50系統、53系統、57系統、59系統、82系統、83系統、87系統、105系統、106系統、201系統、202系統、291系統、292系統 滝頭営業所(横浜市磯子区滝頭三丁目1-33) 所管系統:9系統、21系統、68系統、78系統、101系統、102系統、103系統、113系統、133系統、135系統、156系統、158系統、163系統(みなとみらい100円バス)、219系統、361系統(21系統深夜バス) 鶴見営業所(横浜市鶴見区生麦一丁目3-1) 所管系統:7系統、13系統、15系統、16系統、17系統、18系統、19系統、27系統、29系統、46系統、48系統、86系統、103系統、109系統、128系統、155系統、181系統、213系統、290系統、365系統(13系統深夜バス) 保土ヶ谷営業所(横浜市保土ケ谷区川辺町4-2) 所管系統:5系統、22系統、25系統、28系統、32系統、34系統、35系統、50系統、62系統、75系統、79系統、89系統、101系統、115系統、116系統、136系統、151系統(定期観光バス)、210系統、211系統、212系統、218系統、358系統(25系統深夜バス)、362系統(50系統深夜バス)、374系統(210系統深夜バス) 本牧営業所(横浜市中区本牧元町45-1) 所管系統:8系統、20系統、26系統、54系統、57系統、58系統、91系統、97系統、105系統、106系統、148系統、222系統、271系統(あかいくつ)、363系統(8系統深夜バス)、364系統(105系統深夜バス)、366系統(103系統深夜バス) 緑営業所(横浜市緑区白山一丁目10-1) 所管系統:1系統、12系統、33系統、36系統、39系統、41系統、56系統、73系統、74系統、80系統、82系統、90系統、92系統、119系統、124系統、221系統(鴨居・東本郷線)、305系統、306系統、310系統、353系統(56系統深夜バス)、354系統(119系統深夜バス)、372系統(305系統深夜バス)、373系統(中距離深夜バス) 若葉台営業所(横浜市旭区若葉台二丁目15-1) 所管系統:5系統、23系統、40系統、55系統、65系統、115系統、116系統、136系統、350系統(65系統深夜バス) [編集] 廃止された営業所・派出所 磯子営業所金沢派出所(横浜市金沢区幸浦二丁目1-17) - 1991年5月10日廃止 港南営業所芹ケ谷派出所(横浜市港南区芹が谷三丁目33-3) - 1974年12月23日廃止、翌24日から2006年3月27日まで野庭営業所芹ヶ谷詰所。同営業所廃止と共に神奈川中央交通に移譲。 浅間町営業所中山出張所 - 1964年12月19日廃止 (初代)鶴見営業所(横浜市鶴見区生麦四丁目6-37) - 1981年5月5日廃止、現・港北営業所 西営業所(横浜市西区高島二丁目18) - 1965年7月11日廃止、現・保土ヶ谷営業所 野庭営業所(横浜市港南区野庭町字宮久保637-2) - 2006年4月1日廃止 緑営業所川和派出所(横浜市都筑区川和町字上サ2469) - 1991年6月28日廃止 港北ニュータウン営業所(横浜市都筑区大丸23-21)-2007年4月1日廃止 [編集] 特殊な路線 [編集] 定期観光バス(市内遊覧バス「ベイサイドライン」) 横浜市営バス(定期観光バス:日産ディーゼル/ヨンケーレ)(2007年4月、港の見える丘公園付近にて撮影横浜市営バスでは、横浜市内の名所を巡る市内遊覧バス(定期観光バス)の運行も手掛けている。かつては滝頭営業所が担当していたが、現在は保土ケ谷営業所が担当しており、書類上の系統は151系統である。 通年設定されているコースは一日コースと半日コース(午前・午後)の3種類があり、いずれも横浜駅東口から出発する。車両は通常の観光バスを使用していたが、近年は観光路線ブルーラインで使われていた2階建てバス(ヨンケーレ)を専用車に充当している。 2005年と2006年には夏期限定ではとバスとの共同運行による夜のコースが設定された。その影響か2006年からははとバスのガイドが乗務している。 主な見学地(2007年7月現在) みなとみらい21地区(一部コースでは横浜ランドマークタワー展望台〈スカイガーデン〉見学) 港の見える丘公園・山手外人墓地 山下公園(一日コースは遊覧船シーバス乗船) 赤レンガ倉庫 三渓園(午前コースと夜コースは設定なし) 横浜ベイブリッジ(首都高速湾岸線の本牧JCT〜大黒PA往復) 横浜中華街での昼食(午後コースは設定なし、一日コースは昼食後横浜大世界入場) 過去に設定された見学地 横浜スカイウォーク(ベイブリッジ大黒埠頭側の展望施設) 横浜市電保存館 日本丸メモリアルパーク(横浜マリタイムミュージアム) [編集] みなとみらい100円バス みなとみらい21地区を運行する路線バス。現在運行しているのは循環運行の日ノ出町駅ルートで、運行日は土曜日・日曜日・祝日・振替休日だが、学校の夏休み・冬休み・春休み期間中はさらに平日にも運行する。運賃は大人100円・小児50円。書類上の系統は163系統である。かつては桜木町駅ルート、横浜駅ルート、大さん橋・山下公園ルートもあった。 [編集] 観光スポット周遊バス「あかいくつ」 横浜市営バス あかいくつ号(2007年4月、赤レンガ倉庫にて撮影)2005年3月から横浜高速鉄道みなとみらい線沿線の観光施設を巡る路線バスとして運行を開始した。桜木町駅から港の見える丘公園を折り返し、再び桜木町駅に戻る循環運行路線である。運賃は大人100円・小児50円で、カード等の利用は不可。前述のみなとみらい100円バス桜木町駅ルートおよび大さん橋・山下公園ルートを統合した路線とも言える。系統番号は表記されていないが、書類上271系統で、本牧営業所が担当する。専用の日野・レインボーHR・9m車(宝くじ号)で運行しており、2009年の横浜港開港150周年を記念して登録番号は150で統一している。 ちなみに、このバスは2007年4月〜6月に日本テレビ系列で放送されたドラマ「喰いタン2」第3話で、主人公達が乗っていた同車がテロリストに銃撃されるシーンに登場した(横浜が舞台になっているため)。このときステアリングを握った運転手は、元カースタントという前歴を持つ市営バスの現役運転手が選ばれた。 [編集] 臨時営業路線 [編集] 37系統 37:横浜駅西口(第2)〜三ツ沢グランド前/東神奈川駅西口〜三ツ沢グランド前 かつては市民運動会の開催日に運行されていたが、Jリーグ発足以後は、三ツ沢球技場でサッカーの試合が行われる際などに運行されている。運行に際しては、全営業所から車両が充当される。行先表示は「三ツ沢グランド」となっているが、実際は直行便のため途中停留所はすべて通過し、三ツ沢総合グランド入口まで運転する。横浜駅西口発着便については原則として北軽井沢を通るが、復路の横浜駅西口行については翠嵐高校前を通る場合がある。なお、相鉄バスでも定期便として横浜駅西口発横浜車庫行の行先表示に「三ツ沢グランド」と大きく表示されている。 [編集] 49系統 49:横浜駅前〜大桟橋/桜木町駅前〜大桟橋(ともに急行運転) かつては花月園競輪場への送迎バスにこの番号が付されていたが、現在は大桟橋への送迎バスに番号が付されており、横浜港国際客船ターミナルに大型客船が入港した際に運行される事がある。浅間町・本牧営業所が担当。なお、2003年から2005年までみなとみらい100円バスに「大さん橋・山下公園ルート」があったが、こちらは横浜港国際客船ターミナルに大型客船が入港していなくても大さん橋に発着していた。 [編集] 花月園競輪場シャトルバス 鶴見駅西口〜花月園競輪場 東神奈川駅前〜花月園競輪場 花月園競輪場→東神奈川駅西口→横浜駅西口 花月園競輪場で競輪が開催される日に運行される無料送迎バス。鶴見駅西口発着は港北・鶴見両営業所の担当で臨港バスとの共同運行、東神奈川駅・横浜駅西口方面は鶴見営業所の担当となっている。横浜駅西口行は花月園競輪場発のみの運行で、途中東神奈川駅西口に停車する。 [編集] 車両 横浜市営バス・一般路線車両 (2006年5月18日、横浜駅西口にて撮影) 横浜市営バス・一般路線車両:旧塗装 (2005年9月23日、滝頭営業所にて撮影)※一般公開日 [編集] 車両メーカー概要 いすゞ車(1) 入札制度が導入されるまでは、港北・鶴見営業所に優先的に導入されていた。 2004年度末時点では、浅間町・若葉台・緑・港南・野庭に配属されていた。 鶴見・港北営業所においては、中型車が配属。 狭い道路を多く通るため短尺車(L尺)が多く配属されているが、鶴見営業所には長尺車が導入されている。1998年までのノンステップバスは、デッドスペース対策で標準尺となっている。 三菱車(2) 2003年度まで、若葉台・緑・本牧営業所に優先的に導入されていた。 リコール問題により、2004年度以降は配属がされていない。 緑営業所には中型車が在籍している。 狭い道路を多く通るため短尺車(K尺)が多く配属されているが、本牧営業所には標準尺(M尺)が多く導入されている。 日野車(3) 大型車から小型車まであるため、他のメーカーよりも圧倒的に多く、全ての営業所に配属されている。 入札制度が導入されるまでは、港南・野庭・保土ケ谷・浅間町営業所に優先的に導入されていた。 中型車は、保土ケ谷・本牧営業所に配属されている。 小型車は、滝頭・鶴見・港北・緑・本牧・保土ケ谷・浅間町・磯子に配属されている。 狭い道路を多く通るため短尺車(L尺)が多く配属されているが、本牧営業所には長尺車(R尺)が導入されている。2002年度までのノンステップバスは、デッドスペース対策で標準尺となっている。 日産ディーゼル車(4) 入札制度導入前までは、磯子・滝頭・港北ニュータウン営業所に優先的に導入されていた。 2007年3月からは、緑営業所にもに配属されている。 そのほか、本牧営業所に中型車2台、保土ケ谷営業所に定期遊覧用の2階建てバス3台が配属されている。 狭い道路を多く通るため短尺車(H/K尺)が多く配属されているが、磯子営業所には標準尺(L/M尺)が多く導入されている。 車両は、首都圏排ガス規制(自動車NOx・PM法)により、一般のディーゼル車両は、約12年で廃車されている。低公害車両については、15年を超えることもある。 2002年式から、全ての車両で(あかいくつを除く)LEDの行先表示機が採用されている。(1999年式の浅間町2台もLED化の改造が成された。) 車両番号によって区別されているので、似ている車両があっても区別が可能。 ※(1)の詳細などは、車両番号の項目を参照。 この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。 [編集] 低公害車両 いすゞ ほとんどの車両にDPFが装着されている。 港北営業所には、EGRやCNGが搭載された車両が在籍している。 かつては、ハイブリッドバスのCHASSE車もあった。 そのほかは、酸化触媒装置付車両(ディーゼル微粒子除去装置)である。 三菱 ほとんどの車両にDPFが装着されている。 ハイブリッドバスのMBECS IIやハイブリッドバスのMBECS IIIを搭載した車両もある。 そのほかは、酸化触媒装置付車両(ディーゼル微粒子除去装置)である。 日野 ほとんどの車両にDPFが装着されている。 ハイブリッドバスのHIMRも存在したが、すでに除籍されている。 2005年度からハイブリッドバスの導入が開始された。 そのほかは、酸化触媒装置付車両(ディーゼル微粒子除去装置)である。 日産ディーゼル ほとんどの車両にDPFが装着されている。 ハイブリッドバスのERIPやCNGを搭載した車両もある。 2007年度から、尿素SCR還元システムの導入が開始された。 そのほかは、酸化触媒装置付車両(ディーゼル微粒子除去装置)である。 [編集] バリアフリー対策 1995年式からワンステップバスの導入が開始された。本格導入は、1999年の大型車と中型車(いすゞ車・日産ディーゼル車)と2003年式の日産ディーゼル車に導入されたが、それ以外はノンステップバスが導入された。全車両(854両)に対し、ノンステップバス・ワンステップバス・リフト付超低床バスの割合は、約90%(765両)となっている。 2004年度末から国土交通省が認定する、標準仕様ノンステップバスの導入が開始され、車体の正面・側面・後部の3か所に「認定 標準仕様ノンステップバス 国土交通省」と記載された、バスの形をした青か緑のステッカーが貼付されている。 ※青色は2004〜2005年度の車両まで、緑色は2006年以降の基準を満たしている。 ※2006年度車両から、ステッカーのタイヤ部分に、番号がつくようになり、2004年導入車と2005年導入車は、表示なし。2006年式は、「05」。2007年式は、「06」・・・と続いていく。 [編集] カラーリング 路線バス(大型・中型車) 横浜市電のカラーリングを継承し、肌色ベースの車体に青色のラインが引いてある。最近はラッピングバスが多くなったが、視覚障害者団体からの要請により、正面はこの塗り分けのまま残してある。1995年度まではメトロ窓で、窓下の青帯から銀の縁取りが見られたが、1996年度車以降の車両からは窓が逆T字窓になったため、窓下の縁取りが銀から黒に変更された。また、1996年度から正面の青帯が局徽章の両側で分断されたが、2000年度(三菱・日産ディーゼル車両は2001年度から)に再びY型に戻った。座席にはマリンタワー・帆船日本丸・横浜ベイブリッジが描かれている。(このほか、はまりんの柄や、G30のPRの柄のものもある。) 横浜交通開発に委託された車両は、正面の紋章が撤去されている。 路線バス(小型車) オフホワイトに青・緑・橙の3色のラインが引いてあり、遠くから見ても小型車であることがわかるようになっている。正面のデザインは青・緑・橙の3色のラインが局徽章の両側で分断されている。ノンステップバスはLEDの行先表示機となっている。 特定スクールバス 白に青・黄・水色のラインが入る。青色の面積が後部に行くにつれて大きくなっている。元々、特定スクールバスの送迎車は12台あったが、民間会社の競争が激化したため、2006年度から急激に減少した。 2階建てバス 白をベースに後ろのエンジン部分に青で横浜の名所が描かれ、横浜ベイブリッジ・日本丸・横浜開港記念館の3種がある。先代のスペースドリームは白をベースに赤と青の帯が斜めに入っていた。 観光バス(過去車両) クリーム色にピンクと緑の帯を巻き、バンパーより下はダークグレーである。2007年に最後の1両が廃車された。 あかいくつ 上半分が肌色、下半分が赤である。希望ナンバーが全て150である。 オープンバス(過去車両) 1998年の横浜ベイスターズ優勝時に、廃車予定の路線バス車両1台(磯子営業所所属・日産ディーゼル製)を、1か月半の期間と20万円の費用をかけてオープンバスに改造されて優勝パレードに使用された。パレード使用後は解体する予定だったため仮ナンバー登録だったが、ファンからの要望で残される事になり、補強工事を施して正式にナンバーが登録され、翌年の横浜国際仮装行列から各種のイベントに用いられた。 ワールドカップPR時には、希望ナンバーで20-02を付けていたが、2003年の首都圏排ガス規制により、北海道函館市の民間会社に売却された。 ワールドカップバス 2002年FIFAワールドカップ決勝戦の横浜開催に合わせPRをしようと、1999〜2001年度に導入された日産ディーゼル・UA、いすゞ・キュービック、いすゞ・エルガのCNGノンステップバスに採用。車体色は白でバンパーは青。ナンバープレートが希望ナンバーで20-02(開催年の2002年)を付けていることで、容易に判別できる。 いすゞ車が港北に、日産ディーゼル車が滝頭に配置され、大会期間中は、メディアセンターが開設されたパシフィコ横浜から横浜国際総合競技場までの関係者輸送に使用された。 ワールドカップ終了後は大別するとよこはま動物園ズーラシアラッピングバス・横浜国立大学デザイン・横浜市交通局のマスコットキャラ「はまりん」バスの3種類に分けられ、はまりんバスは座席の表地がはまりん柄に交換されている。なおベースカラーは2004年度までに導入されたCNGノンステップバスにも採用されている。 [編集] 車両番号 車両には1〜4桁の番号が付けられており、以下の法則に基づいている。 例:4-3772(あかいくつ1号車) 上1桁目は導入された年度を示す(なお、その車両が購入された予算年度に基づいている。つまり、1994年度に導入されたものでも1993年度の予算で購入されれば3の数字が与えられる。この場合は2004年度購入車)。 下4桁は1桁目がエンジンメーカー、2桁目が用途、残りの2桁が車両番号となる。ただし、車両番号の下2桁に「42」「49」が付く番号は忌番のため原則として使用しない。ただし、1994年式までの車両には「42」「49」を使用していたが、2006年度末に消滅した。 エンジンメーカーは、1がいすゞ自動車、2が三菱ふそう、3が日野自動車、4が日産ディーゼル、5がその他のメーカーとなる。ハマちゃんバスに使用されていた日野ポンチョは厳密にはフランスPSA・プジョーシトロエン製のエンジンを搭載するため「5」が適用された。 用途は、0が観光用などの貸切、1が特定車両、2が車掌台のある車両(2006年度末に消滅)、3以降がワンマンの通常路線バス車両となる。 ワンマンの通常路線バス車両番号は、下3桁が999に至る前に最初の番号(下3桁が300)に戻る場合がある。 [編集] 一般車両を使ったバスツアー 2006年7月22日と23日の2日間、鶴見営業所所属の109系統専用車いすゞ・富士重工7E・KC-LV280Qを使用した「いすゞKC-LV280Qで行くバス好き集まれ!バスツアー」が横浜市交通局協力会(交通局の関連団体)主催で行われた。交通局主催のバスツアーに一般車両が使用されるのは交通局創立以来初めてのことであった。コースは、桜木町駅を午前9時と午後2時に出発し、前半は横浜の中心部や鶴見営業所の路線をつなぎ合わせてスカイウォークへ向かい、その後車両の公開と撮影会が行われた。後半は、ベイブリッジの下の国道357号線を渡り、山下公園・中華街・港の見える丘公園を抜け、根岸台で折り返しの後、桜木町駅へ戻る約4時間のコースだった。鶴見営業所所管の路線走行時は、音声合成装置で実際に停留所の放送が流れたり、また、交通局のイメージキャラクター「はまりん」が桜木町駅での見送りと出迎えの他、途中の停留所で突如出現し乗車するも途中で降りるなど様々なシチュエーションが用意された。 同年11月11日には、第2弾として本牧営業所所属の三菱ふそうの超低床型バス(エアロスターK・U-MP628M)を使ったバスツアーが行われた。この車両は1週間弱で廃車となった。 翌2007年3月24日には、路線再編によって2006年度限りで廃止あるいは民間会社へ移譲される路線を旧塗装車で巡る「ありがとうツアー」が企画された。 [編集] 市営バス限定の企画乗車券 通常のバスまたはバス・地下鉄共通の一日乗車券の他、横浜市営バスでは以下の市営バス限定の企画乗車券が発売されている。 ファミリー環境一日乗車券:1世帯の家族5人までが土曜日・日曜日・祝日・振替休日および旧盆・年末年始期間中の1日に限り市営バスを何回でも利用することができる。1枚1,000円で販売している。 環境定期券制度:家族のうち1人でも通勤定期券、シニアパスを所持していれば、同居の家族が同伴で乗車する場合、人数に関係なく全線1人100円(子供50円)で乗車できる制度。他社発行の共通定期券でも制度を受ける事が可能。利用できる期間はファミリー環境一日乗車券と同じ。 あかいくつ一日乗車券:観光スポット周遊バス「あかいくつ」の他、みなとみらい100円バスを1日に限り何回でも利用することができる。大人300円・小児150円で販売している。 みなとぶらりチケット:利用エリアが限定されている一日乗車券。大人500円、子供250円。市営バスは横浜駅からみなとみらい、元町、伊勢佐木町辺り(横浜駅東口・高島町・日ノ出町駅前・野毛町・長者町5丁目〜長者町1丁目・港の見える丘公園・山下ふ頭入口がエリアの境界線です。)まで利用可能、市営地下鉄は横浜駅から伊勢佐木長者町駅までが利用できる。また、あかいくつ号や100円バスも利用可能。利用エリア外での乗車や乗り越しはその分の実費を支払わなければならず、バスの車内では注意を促す放送が流れる。(流れないバスもあるので注意。)このチケットは、提携施設や提携店舗での割り引きやサービスを受けられると言う特典も付加されている。 みなとぶらりチケットワイド:みなとぶらりチケットのエリアに加えて、市営地下鉄新横浜駅で乗降が可能(横浜までの途中駅での乗降は不可)。新横浜地区での提携施設や提携店舗での割り引きやサービスも受ける事ができる。大人550円、子供280円。 [編集] 脚注 ^ 横浜市営バス バス路線変更等のお知らせ ^ 平成19年度予算案 [編集] 関連項目 日本の交通 [編集] 外部リンク 公式サイト モバイル版 横浜市営バス運行情報 横浜市営バス路線の再編成について 横浜市営バスの時刻表と所要時間表のページ(非公式) ブルーライン(非公式)